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不良少年と教授の娘の逃避行「オー・ミステーク事件」【衝撃の未成年犯罪事件簿】

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画像はイメージです

 1930年代にアメリカ中西部で銀行強盗や殺人を繰り返した男女カップル、ボニーとクライド。彼らはカップルかつ殺人のパートナーであり逮捕されるまで多くの銀行を襲い、罪のない人間を次々に殺害した。その奇妙な関係は『俺たちに明日はない』など様々な映画の題材にされている。

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 さて、そんなボニーとクライドの和製版ともいうべき存在が戦後すぐの東京にいた。1950(昭和25)年9月22日、東京都千代田区丸の内近くで銀行帰りの車が2人組に襲撃され現金を奪われた。奪われたのは日本大学職員への給料約191万円で、輸送していたのは同じく日大に勤めていた職員であった。

 警察は日大内部に精通している者の犯行ではないか、と推定し調査を開始。すると日大の職員A(当時19歳)と日大教授の娘B子(当時18歳)が数日前から行方不明になっていることが分かった。
 警察は2人が強盗事件の犯人ではないかとし、指名手配された。手口が粗かったこともありAとB子は3日後の9月25日にそろって逮捕された。

 捕まった時、Aは頭にハットを被り、上物の上着をまとっていた。B子も同じく時代を考えればオシャレなツーピース姿だった。
 彼らは捕まった後もふてぶてしい態度をとっており、取り調べ中も英語交じりで話すなどしていたという。

 大学教授の娘であるB子と一緒に家出するため、金欲しさに犯行に及んだという。
 Aは勤め先の日大で、B子に一目ぼれし交際に発展した。だが教授の娘で箱入りだったB子の父は、Aとの交際を認めてくれなかった。B子はAに家出することを告げるが、金がないため仕方なく銀行強盗を思いついたという。

 本事件は「不良少年と教授の娘の逃避行」として話題になった。本事件の俗称は「日大ギャング事件」であるが、外国かぶれのAが警察に逮捕された時に叫んだとされる「オー!ミステーク!(失敗した)」という言葉をもじって「オー・ミステーク事件」と呼ばれることもある。

文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)

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