光秀と言えば、避けて通れないのが「本能寺の変」。天正10年(1582年)6月2日早朝に、京都の本能寺に滞在していた織田信長を、家臣であった光秀が襲撃した歴史的事件である。だが、本能寺の変を起こした理由が不透明であったり、かなり急いで行われたように思えること、謀反を起こした後の光秀がどのように動こうとしていたのかが解らないこと等から、長い戦国時代の中でも有名な事件ながら、非常に謎の多い事件としても知られている。
>>信長の首塚が静岡県・西山本門寺にある?<<
実際、光秀が動機を明らかにしている資料も存在せず、彼の家臣も討たれており、関連する資料もおそらく隠蔽または処分されてしまったと思われているため、現状では動機を探る事が非常に難しい。そのため、「実は本能寺の変には黒幕がいたのではないか」「明智光秀が本能寺の変を起こした理由は別のところにあるのではないか」等の異説が多く上がっているのだ。
本リアルライブでも過去に、「長宗我部黒幕説」等を紹介したが、原因や黒幕を上げる異説は実に数十はあるという。そこで、光秀にゆかりのある京都府福知山市と福知山光秀プロジェクト推進協議会が、本能寺の変が起きた原因として有名な説を50挙げ、「みなさんがこうだと思う『本能寺の変』が起きた理由」を総選挙するという「本能寺の変 原因説総選挙」を5月にネット上で行った。
6月2日に発表された結果は、1位が「暴君討伐説(信長非道説)」、2位に「秀吉黒幕説」、3位が「怨恨説」。「暴君討伐説(信長非道説)」は、光秀が信長の残虐な行為を許せず、正義のために討ったとする説で、投票者からは「私利私欲のためだけで謀反を起こしたのではないのでは」等の意見が寄せられていたという。
今回の投票は、日本全国から海外まで実に3万5000票以上が集まった。投票者の9割は抽選で当たる「本能寺の変お知らせハガキ」にも申し込んでおり、倍率は240倍以上になったとか。この「本能寺の変お知らせハガキ」は、Twitter上で作成されたネタ画像を正式にパロディグッズとして採用したもの。実際の届出ハガキのように圧着ハガキとして作成されており、細部まで拘った仕上がりになっているので一見の価値がある。
投票結果などの詳細情報は、福知山光秀ミュージアム公式サイトの専用ページで確認できるので、興味のある人は見てみてはいかがだろうか。
(山口敏太郎)
関連URL
「本能寺の変 原因説50 総選挙」#HNG50 ~おうちで光秀ミュージアム~
【投票は終了しました】
https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/site/mitsuhidemuseum/hng50.html