東国原氏は2007年の宮崎県知事選に無所属で出馬。当初の下馬評を跳ね返し当選を果たす。選挙戦ではタレントの応援演説を一切受けない姿勢などが評価された。さらに、選挙演説などで発した「宮崎をどげんかせんといかん」は流行語大賞にも選ばれた。
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当選後は、元タレントの知名度を活かし、マンゴーを始めとする宮崎の特産品アピールを行い話題となった。こうしたイメージが強い一方で、県政運営に関しては実績が少なく、批判を集めてきたという見方もある。
2010年に家畜伝染病の口蹄疫が流行し、宮崎県でも発生。しかし、最初の感染事例の報告が遅れるなど、県の対応の遅れが批判された。東国原氏は不要不急の外出自粛などを求める非常事態宣言を発出するなど奮闘したが、全てがベストな対応であったかは疑問が残るところではあろう。
さらに、東国原氏は公費の無駄を無くすため、公用車の廃止を行ったほか知事公舎に住まず、自ら購入したマンションから通勤を行った。こうした姿勢は評価される一方で、マンションに女性記者が泊まり込んだ疑惑も報じられた。東国原氏は事実無根と反論し、後に一部のメディアからはハニートラップを仕掛けられたとも暴露している。
最も批判を集めたのは、知事を一期で辞めてしまった点だろう。やはり地方自治は数期を務めてこそ仕事が完成するという見方も根強い。
何より東国原氏は、知事の在職中から衆議院議員選挙への出馬がたびたび取り沙汰されるなど周辺の動きが慌ただしかった。2011年1月に任期満了後は、4月の東京都知事選へ出馬するも落選。翌2012年には日本維新の会から比例代表として衆院選に出馬し当選するも、約1年で辞職している。こうした経歴を「節操の無さ」と見る声もある。
これらの過去の経歴は、宮崎県知事にスムーズに復帰というわけにもいかない懸念材料となる可能性もありそうだ。