88年、ジャニーズJr.から選抜された数名が、いちばん最初に名乗ったユニット名は、スケートボーイズ。小・中・高校生で結成され、メンバーは全員が学業と両立していたため、流動的だった。俳優・反町隆史も14歳のとき、本名の野口隆史で在籍していた。さらに、TOKIO・国分太一、V6・坂本昌行にいたっては、スケートボーイズがSMAPに昇格したあとも、助太刀で参加。国分は、「修学旅行に行っていた稲垣吾郎の穴埋め」で、雑誌撮影に呼び出されたことがある。
スケートボーイズ時代、選ばれた12人が初のCM出演をはたしている。歌手デビューをはたしていないジャニーズアイドルが、CM「トンボ学生服」のイメージキャラクターに選ばれるのはきわめて異例だ。
撮影は88年5月、東京・調布の大映スタジオで行われた。初のCM撮りにもかかわらず、中居正広は中間試験のため、遅れて現場に入ったという。香取慎吾はまだ小学生。スケボーに乗ったり、詰め襟の学生服を着たり。初の経験は、7時間の長丁場になったようだ。
同CMは好評につき、翌89年5月に第2弾を撮影。すでにSMAPが誕生していたため、出演メンバーは6人(当時)に絞られた。香取はまだ小学6年生。この年の春、ようやく中学校に進学している。
CMのキャッチコピーは、“焦げてる黒だ。ハイパーブラック”。その名のとおり、真っ黒の制服姿で、一糸乱れぬダンスを披露している。撮影時間は、およそ5時間。少しは成長したようだ。
同年には、ジャニーズタンレトとして初の偉業を達成している。初のタイアップCMに出演しており、その商品名はまさかの『森永乳業 SMAP』。アイドルグループが、乳酸飲料(当時はシティドリンクという呼称)そのものになってしまった。
CMは、6人が「SMAP!」と叫んだあと、同商品である紙のパックを次々と取っていくシーンからスタート。セールスポイントであった自慢のスケボーに乗って、街や公園、ビル、線路などを滑走。CGで加工されているため、若さと疾走感がうまく噛みあっている。
BGMは、ジャニーズタレントに必ず1曲は与えられる紹介ソングの『SMAP』。生での歌唱経験が浅い同曲はその後、デビュー曲『Can't Stop!! -LOVING-』のカップリングになった。
「日本人アーティスト史上初」という冠を何度も擁したSMAP。つくづく、解散が惜しまれる――。