「異動を命じられたときはまったく何のことだかわからなったのですが、今にして思えば私は富士山に深くかかわりすぎたのだと思います。」
静岡県の某支局への赴任当初、M氏が扱う富士山のネタと言えば年中行事や季節、自然に関してのものが多かった。しかし、あるとき富士山で低周波地震が急増する。
「あのとき数字のデータはかなり異常な数値を弾き出していました。それで各方面の研究者たちも騒ぎ出しデータの分析に入ったのです。すぐに噴火というエキセントリックな話にはなりませんでしたが、私としては“富士山は活火山なのだ”と再認識しするに十分な出来事でした。活火山である以上噴火の可能性は残されているわけですから…」
平成12年からの低周波地震の頻発をきっかけにM氏は火山としての富士山にのめり込んでゆく。最後の大噴火・宝永の大噴火から300年以上沈黙を続ける富士山。活火山ながら「噴火などありえない」という前提で始めた取材であったが、各方面への接触を重ねるにつれM氏は徐々に今も不気味に活動を続ける富士山の噴火が絵空事ではない現実に直面することになる。