札幌ドームのマウンドは「硬い」ため、苦手とする投手が多い中、金子は「硬め」のマウンドを好んでおり、プレーをする環境面も決め手の一つになったのかもしれない。
オリックスが近鉄と球団統合し、2005年にオリックス・バファローズとして初めて臨んだドラフトで1位(自由枠)で入団した金子は、2008年から4年連続で二桁勝利。2010年には17勝、2013年は15勝、2014年は16勝と、オリックスのエースとして、チームの顔を担ってきた。しかし、FA残留した2015年から制球面で悩むようになり、2011年から2点台をキープし、2014年には1.98を記録した防御率が、2015年から今シーズンまでは4年連続で3点台に。今年は日程の都合もあり、6度務めた開幕投手を西勇輝に譲り、シーズンに臨んだが、不調続きで8月14日には首から背中への張りから登録抹消。そのままシーズンが終わり、4勝7敗、防御率3.87、出場も17試合と、2012年の9試合に続く不本意な結果に終わった。FA残留した2015年から4年契約が今シーズンで終了。この4年間の成績は30勝30敗の5割。オリックス球団は野球協約の減額制限(1億円超は40%)を超える金額を提示され、金子は自由契約を申し出た。
日本ハムへの入団合意が発表されると、SNS上ではオリックスファンから金子に対する労いの声やエールのような言葉が送られる中、ショックを受けるなど退団を惜しむ声も多数見受けられる。金子が最後にオリックスファンの前に姿を見せたのは、先月25日に京セラドーム大阪で行われたファン感謝デー『Bsファンフェスタ2018』だった。その時には既に本人の中で自由契約を選択する意思は固まっており、エンディングで球場を一周した際には、スタンドのファンに最後まで手を振る姿が印象的だった。
金子は「オリックス・バファローズ1期生」としての誇りを持っていただけに、出来ることなら残留したかったのは間違いない。特に同級生の近藤一樹がヤクルトにトレードされたことで、球団統合時からオリックスにいるのは金子だけになってしまったことから、「このチームで優勝したい」という気持ちは強かった。ファンサービスにしても春季キャンプではバレンタインデーにチョコレートを配ったり、ホテルで何百枚ものサインをするなど、常に平等にすることを心がけていた。そして2014年にはMVPを始め、沢村賞、ベストナインなどタイトルを総ナメにする活躍を見せており、チームの功労者に対してファンから惜しむ声が出るのは当然のことである。しかし、金子は「若返り」の方針を打ち出しているオリックスから“卒業”する決断をした。
「戦力として必要とされているのは嬉しい」
ファンフェス終了後、楽天が獲得に興味を示していることに対してこのように話していた金子は、真っ先に「必要」の意思を伝えてくれた日本ハムを新天地に選んだ。来年3月29日から開幕する来シーズンの日本ハムは、開幕カードは札幌ドームでのオリックス3連戦が発表されている。“劇場型”の栗山英樹監督がこの3連戦で金子を登板させる可能性は高い。生涯オリックスと思われた金子の退団、そして日本ハム入団はパ・リーグの野球がさらに面白くなる起爆剤になり得るだけに、新天地での金子千尋の活躍を大いに期待したい。
取材・文 / どら増田
写真 / 垪和さえ