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「二度と黒夢はやらない」メンバーと清春との確執の原因は レコーディングや楽屋、打ち上げも別々か<共演NG?【犬猿の仲】の有名人>

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 ロックバンド黒夢のボーカル・清春が22日、美女と路上で密着する様子がニュースサイト『NEWSポストセブン』に報じられた。記事によれば9日、都内でのソロライブを終えた清春が楽屋口でタバコを一服していたその間、妻ではないグラマラスな黒髪の女性がずっと寄り添って立っていたという。すると、清春は次第にその女性の肩や腰に手を回しながら、建物の植え込みの陰へと誘導し、女性をギュッと抱き寄せると女性のマスクをはがしたようだ。2人は顔と顔を密着させ、シルエット的にはキスを交わしていたと伝えている。

 清春は1991年、ベーシスト・人時らとともに黒夢を結成し、1994年にメジャーデビュー。1995年発売の3rdのアルバム『feminism』が大ヒットとなり、日本の音楽シーンに大きな影響を与え、ビジュアル系ロックバンドのカリスマ的存在となった。だが1999年1月、無期限の活動休止を発表。同年、清春は自身のレーベルを立ち上げロックバンド・SADSを結成(現在は活動休止)。現在はソロでのライブ活動を精力的に開催し、52歳を迎えた2020年10月には初の自叙伝『清春』(シンコーミュージック・エンタテイメント)を発刊するなど、再び注目を集めている。

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 黒夢の活動休止はファンにとって大きな衝撃となった。人時との確執が原因だったというから何とも複雑だ。これについて人時は、2015年11月に『ORICON STYLE』のインタビューに応じ、清春との不仲について言及している。

 人時は、自身にとっての黒夢は、「青春ですし、切っても切れないもの」と誇り高き存在だったとしている。だが、清春との不仲について問われると「活動停止前は、ひと言もしゃべらないぐらい仲が悪かった」と確執を認めている。その理由として人時は、「自分でそうしてしまった部分もあるから、誰のせいにするつもりもないし、申し訳ないという気持ち」と述べた。

 「すでに家庭を持っていた人時は、年間230本近いライブをこなす活動に限界を感じていたといます。長期的なツアーで不在になりがちな人時の家族は気持ちが離反しかけ、これに人時は『家庭を優先したい』と清春に伝えたそう。すると、両者の間で溝が生じ、メディア出演などのキャンセルで確執がより悪化していったとか。両者はレコーディングやライブの楽屋、打ち上げも別々となった状況が続いたそう。このことで人時は、1998年に“脱退”の意志を清春に告げると、黒夢のツアー最終日となった1999年1月に活動を停止させたのです」(芸能ライター)

 さらに解散後の人時は、「二度と黒夢はやらない」と思っていたことを明かし、「実際、活動停止してから10年ぐらい清春さんとはまったく会っていなかった」と明かした。ところが2009年1月、黒夢は10年の時を経て、一夜限りの復活かつ解散ライブを東京・日本武道館において開催し、正式に解散した。

 人時は当時を振り返り、「時間が解決するってよく言うけど、まさにそんな感じ」と心境の変化を述べた。復活&解散ライブによって清春との距離を縮めると、翌2010年に再結成へと至り、その後も黒夢は解散と復活を繰り返した。

 さらに、清春については「今もやることなすこと度肝を抜かされるから、昔よりもさらにリスペクトする気持ちは強くなっている」としたうえで、「僕にとってのスターというか、憧れの人」と尊敬の念を口にした。

 デビュー当時から「人と違うことをやってナンボ」とのスタイルで、一世を風靡してきた清春は今なお熱狂的なファンに囲まれている。今後、黒夢の再結成はあるのだろうか。

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