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バイきんぐ小峠と西村の運命は錦鯉よりドラマティックだった?

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バイきんぐ・小峠英二・西村瑞希

 押しも押されもせぬ人気芸人として安定しているバイきんぐ(小峠英二、西村瑞樹)。1996年の活動から久しくうだつが上がらなかったが、「キングオブコント2012」の優勝で一気にブレイク。特に小峠の活躍はめざましく、「MC横芸人」という重要なポジションを獲得し、ドッキリ企画の常連になり始めると引く手あまた。昨年はテレビ番組の年間出演本数が440本でランキング4位になった(ニホンモニター調べ)。トップの設楽統(バナナマン)、2位の川島明(麒麟)、3位の博多大吉(博多華丸・大吉)は帯番組を持っているが、帯なしでは小峠がトップだった。

 バイきんぐは、所属するSMAで最初に売れたコンビ芸人。2人は、運命の赤い糸で結ばれていたといっても言い過ぎではない。

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 出会いは高校3年生のとき。学生時代の同級生でもなく、お笑い養成所でもなく、大分県の自動車教習所の合宿だった。福岡県出身の小峠は当時19歳で、パンクロックに夢中。奇抜なヘアスタイルをしていた。広島県出身の西村は、普通の18歳だった。ほぼ同時期に入学した2人は、およそ3週間の共同生活を送った。ところが、特に仲良くなることはなく、互いが顔を知る程度だった。

 卒業したおよそ8カ月後、小峠は大阪の吉本興業のタレント養成学校・NSCを受験した。同年の受験者は、およそ600人。笑いの本拠地大阪とあって、ケタ違いの多さだった。面接は2日に分けて行われ、さらに8人ずつに分けられた。驚くのは、その8人の中に西村がいたのだ。しかも、西村は本来、その1つ前のグループだったが遅刻して、後ろにズレた。そこに“未来の伴侶”がいた。

 「600人の応募者から8人がバッティングするのは、確率でいえば1.3%ほど。吉本芸人でもさほど前例がないパターンです。しかも、福岡と広島出身で接点はほぼなし。異例中の異例といえるKOC(キングオブコント)覇者でしょう」(お笑い雑誌のライター)

 NSCの会場で声をかけたのは、小峠の方から。以来ジェットコースターのような26年間の芸人人生だった。

 SMAといえば、ハリウッドザコシショウ、アキラ100%がピン芸人日本一を決める「R-1ぐらんぷり」(当時)で優勝。昨年は錦鯉が大会史上最年長で「M-1グランプリ2021」で漫才の頂に立ち、SMA芸人がコント、ピン芸、漫才でグランドスラムを達成した。錦鯉は7月19日から、朝の情報番組「ZIP!」(日本テレビ系)内で半生が描かれたショートドラマ「泳げ!ニシキゴイ」が放映される。

 2度の奇跡を経験したバイきんぐは、錦鯉よりもドラマチック。ドラマ化されても不思議ではない。

(伊藤由華)

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