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競輪人国記 京都(4)

 大器晩成というが松本整(45期=写真)ほど、この言葉が当てはまる人もいない。45期でデビューした時には期待の新人でグループをつくりながらタイトルを目指した。中野浩一のシンパで、教えを乞うたこともある。

 初めてタイトルを獲ったのは平成4年の名古屋オールスター。これは井上茂徳(佐賀)の1着失格に恵まれたもので、本人も完全に納得のいくものではなかった。
 松本が平成7年から頭角を現したのは、弟子の村上義弘のデビューがあった。近畿の先行として売り出した村上は「松本さんと走るたびに、差される距離で自分がどのくらい力をつけたのか測った」というくらい連係プレーは確実だった。
 だが村上が目標でなくても、松本は差し脚にものを言わせ、平成7年35歳でふるダビ富山を獲ると、和歌山・富山・和歌山とふるダビの斡旋が決まるたびに優勝。ふるダビ3連覇を果たしている。
 驚いたことに平成14年には寛仁親王牌、熊本オールスターと連覇。村上を使っての勝利だが、当時絶好調の山田裕仁(岐阜)を抑えている。年齢はなんと43歳だった。
 「中年の星」とも呼ばれ普通「35歳を過ぎたら選手としては限界」という定説を覆した。もちろんそのための努力もした。自力で3億とも4億とも言われるトレーニングセンターを作り、競輪選手のみならず、スポーツ選手のトレーニングセンターとして著名でもある。
 平成16年にも高松宮記念杯を獲った。なんと45歳でのタイトル獲得である。村上の先行を使い、まくり豪快な岡部芳幸(福島)を抑えた。岡部は14秒0のまくりを打ってきたし、3番手の小野俊之(大分)は4角でインを狙っている。それを牽制しながらの勝利はまさに松本の巧さの真骨頂だった。
 この年のグランプリは規定で松本は出場できなかった。事故点のせいだったが、もしもグランプリに出場したら村上を使い、あっさりGPチャンプになっていたかも知れない。

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