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亡霊軍人の帰還(2)

 たとえ小規模かつ短期間であっても、ひとたび戦争となってしまえば多くの将兵が戦死することは避けられない。そして、戦争がもたらす理不尽な死の記憶は、さまざまな都市伝説や怪奇譚を育む土壌となった。その中でも興味深いのは、故郷を離れた戦地で倒れた将兵が亡霊となって帰還する物語で、時代の移り変わりを反映しつつ内容が大きく変化しているのだ。

 たとえば昭和30年に刊行された棟田博の小説「サイパンから来た列車」は、玉砕し「骨も拾ってもらえない」将兵が、望郷の念から幽霊列車を仕立てて東京へ戻り、始発列車が動き出すまでのひとときを使って家族の様子を垣間見るという筋書きだった。敗戦から10年目といった世相を反映してか、内容は淡々とした筆致の人情話といったところで、声高に著者の主張を語るわけでもなく、恐怖を煽るわけでもない、どちらかと言えば地味な作品であった。

 ただ、その地味なところが、いまだ敗戦の記憶が生々しい当時の人々に受けたようで、小説はベストセラーとなり、まもなく「姿なき一○八部隊」として映画化もされた。映画は原作にかなり忠実で地味な作品となったが、ポスターはボロボロの日本兵が大きく描かれて怪奇な雰囲気を強調していたとされるのが興味深い。また、同時代の亡霊軍人帰還譚は望郷の念や慰霊に力点を置いたものが多く、ことさらに恐怖や主義主張を描いたものは比較的少ないとされる(軍隊の恐怖は内務班による私的制裁や憲兵の拷問を通じて描かれた)。

 しかし、敗戦から時を隔てるにつれ恐怖や怪奇、あるいは作者の主義主張を描き出すための舞台設定、あるいは語り部として亡霊軍人の帰還が描かれるようになっていく。先の「サイパンから来た列車」もその例にもれず、敗戦から50年を経て倉本聰がラジオドラマ化した際には、現代日本を強く批判する内容へ翻案されている。その後、タイトルを「歸國」と変えて舞台やTVドラマとなったが、社会批判的な要素はいっそう濃くなった。

 地味で淡々とした棟田博の原作を翻案して現代社会を批判した倉本聰はひとつの事例だが、敗戦の記憶が生々しかった戦後の雰囲気が変わっていったことを示しているといえよう。では、戦争中に亡霊軍人の帰還譚は存在したのであろうか?

 また存在したとすれば、いかなる形で語られていたのであろうか?

(続く)

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