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競輪人国記 広島(3)

 佐古雅俊は闘志の塊だった。山口県岩国市出身だが、福井へ野球留学して甲子園大会にも出場している。福井から広島に移って45期の適性組で合格。同期・適性組は19人いるが、松本整より早くスター選手になった。
 佐古はファイト満々で他の選手の後ろを回るのが大嫌い。昭和58年の高松宮杯は同期の尾崎雅彦の優勝だったが、佐古も4着と健闘。同年の競輪祭では佐々木昭彦(佐賀)-中野浩一ラインを先まくりして、結局は立て直した中野にまくられてしまったが、「天下の中野」相手でも、ものおじしない走りに期待の新鋭を思わせた。昭和61年の競輪王戦では2着に入っている。
 「わしは適性組だから死ぬほど練習しないと、技能組のスターたちには追いつけない。だからどこへいっても練習はきっちりやっている」

 その後、大阪から徳島に移り、また大阪に舞い戻るという『渡り鳥生活』が続いた。昨年1月A級に降格したが、これは事故点の関係。普通ならそのままズルズルと落ちるところを1年でカムバック。4月の玉野FIで予選快勝、2万3450円の大穴を出している。
 すでに49歳だが「常に競技者ではなく、勝負師であれ」の座右の銘のごとく走り、直線で突っ込んでくる脚はまだまだ侮れない。直線で一瞬タイムが緩むと中割りやコースを狙う。そのしぶとさは捨てがたいものがある。40期の伊藤公人(埼玉)とともに、S級で新人たちに一泡吹かせてくれるだろう。

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