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東京の各地に点在する首塚、結界でもあった?

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画像はイメージです

 鬼門・裏鬼門は重要な方角である。都を設計するにあたり、妖怪・怨霊などが入り込みやすい鬼門封じは、かねてから大事にされてきた要素だ。日本の首都・東京の鬼門の結界を守護しているのは「将門の首塚」。かつて天皇に逆らった将門は首を切断され、結界の一部として、帝都を護る任務に就いている。なお、将門の胴塚は茨城にあり、首塚と胴塚が引き合う霊の「ライン」が鬼門結界を強化しているのだ。

 この鬼門に対し、帝都の裏鬼門を守護しているのが、鎌倉にある「頼朝の墓」である。この墓が「東京の裏鬼門」という要所を固めているのだ。この裏鬼門の結界は、鎌倉にある「頼朝の墓」だけではなく、藤沢にある「義経の首塚」とも連動して作用している。兄弟は死後、力を合わせて東京を守護しているのだ。もう、お分かりの方もいるかもしれないが、鬼門は平家、裏鬼門は源氏が守っているのだ。

 他にも首塚は存在する。裏鬼門で言えば、品川に「無縁首塚」という罪人や遊女を奉った首塚がある。鬼門には「吉良の首洗いの井戸」が残されている。

 さらに、西にある天門を守護してきたのが、「浅布(麻布)の首塚」である。これは関が原の戦いで討ち取った西軍の首を埋めたものと言われている。この「西軍の首塚」とは、岐阜城の攻防で奮戦した信長の孫・織田秀信の家臣たちの首、およそ120をまとめて埋葬したものとされており、麻布の一部に塚が残されていたという。

 だが、現在は場所が判然としておらず、確定的な要素はない。いくつかの場所のうわさはあるのだが、その候補地と接した住宅に住んでいた俳優・田宮次郎が自殺した時には、首塚の祟りだとうわさされた。まるで、首を斬られた武将のように、猟銃で自らの首を吹き飛ばしたからである。

 その後、同じ土地に住んだ外国人・某氏の自宅の壁には、田宮次郎そっくりの染みが浮き出てきたというが、田宮次郎を全く知らない外国人・某氏は意に介さなかったという。やはり、文化が違うと呪いや心霊現象はその力を落としてしまうのであろうか。

(山口敏太郎)

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