渡辺氏は、ミッチーこと渡辺美智雄氏を父に持つ。自民党を経て、みんなの党を結成。第三極を模索する政界のキーマンとして活躍した。2014年にみんなの党解党後の衆議院選挙で落選。2016年におおさか維新の会(現・日本の維新の会)の比例代表として当選するも、維新と対立関係にあった小池百合子東京都知事率いる都民ファーストの会を応援したことで除名処分を受ける。最近は立花孝志氏のNHK党との統一会派を組んでいたが、以前のような目立った活躍は見せなかったと言える。
そんな渡辺氏は、元大阪府知事、元大阪市長の橋下徹氏と激しいバトルを繰り広げた因縁の相手として知られる。
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橋下氏が大阪市長として日本維新の会の共同代表を務めていた2013年1月、みんなの党にいた渡辺氏が、維新と選挙区が競合することで自民党を利しているとして、「維新の皆さんに猛省を促したい」と発言。これに橋下氏が「渡辺氏にはもう少し大人の政治家になってもらいたい」とツッコミを入れ、渡辺氏が「その言葉をそっくりそのままお返ししたい」と応戦する一幕が見られた。
さらに橋下氏が「維新の存続にこだわらない」と話せば、渡辺氏が「参院選前に新党を作り国民をだますのはもうやめた方がいい」と応戦するなど第三極のポジションを巡って激しい争いを繰り広げていた。
同年5月に橋下氏の従軍慰安婦に関する発言が問題となると、渡辺氏が維新との選挙協力解消を示唆。これに橋下氏が「こういうところで人間性というのが一番表れてくる」と渡辺氏を批判したことも。
元々、維新とみんなの党は候補者の相互推薦を行うなど協力関係にあったが、2012年11月には橋下氏が渡辺氏に「選挙区調整はじゃんけんで決めてもいい」と呼びかけ批判を集めるなど、火種は燻っていたと言える。ただ、この時期の維新からみんなの党への強引な合流打診については、後に橋下氏から電話で謝罪を受けたと渡辺氏がインタビューで述懐している。
最終的にみんなの党は議員の離脱や分裂などが相次ぎ2014年に解党。日本維新の会は現在も存続し、野党として存在感を発揮中だ。一連のバトルは橋下氏の側に分があったと言えるかもしれない。