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競輪人国記 兵庫(1)

 第1回の小倉競輪に参加したのは河内正一。登録番号は55番。このころは実用車のレースが日本選手権競輪で行われていたが、河内は25年名古屋から29年川崎まで7連覇を遂げた。

 プロレスラー顔負けのごつい体で実用車だけでなく、競走車でも活躍、昭和24年の賞金ランキングでは5位に入っている。先行もするがまくりは強烈だった。この年には鍋谷正(期前)もランキング4位に入っている。河内は27年にも4位に入っている。通算勝数は825勝。
 「いやあ、実用車は強かった。最終バックどん尻で、今日は勝てるだろうと思ってもあっという間にまくられてしまう。驚くべき馬力」という話を引退した黄金井光良さん(埼玉)から聞いたことがある。
 河内は「腰で踏んでいたからね。実用車はなによりも腰の力。回転よりパワーだね」といっていた。30年の大阪中央で杉井正義(神奈川)に敗れるまで勝ち続けたのだからすごい。引退後はアマ育成に力を注いでいた。

 高橋澄(期前)は昭和25年の賞金ランキングで1位になった。八百長騒ぎで中止などの事件はあったが、それでも1位はすごい。36歳と当時としては年齢のせいか、その後はランキングに入ってない。
 30年には桑田成照(期前)が賞金ランキング8位に入った。競輪祭5着などの成績の積み重ねだった。追い込みでは樽井武彦(期前)が番手とりでは貫禄があった。昭和26年の第1回・大宮全国都道府県選抜2000メートルで優勝している。
 これはという選手はいないが、大阪勢と「阪神ライン」でいい番手を回る選手が多かった。この傾向はそれからの兵庫勢にも続くが、西海寿一(期前)は先行に徹していた。通算成績678勝。

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