「飲食店に客が来ないだけじゃなく、持病を持ってるから自分自身が外出を控えなければならんし、通常のシノギができない」(関東の三次団体組員)
「マスクの転売なんてあったが、今は検査キットのほうが需要があるんじゃないか。自分が、いつ感染するとも分からないしね」(関東の三次団体組長)
山口組の分裂抗争についても、業界ジャーナリストはこう解説する。
「日本が混乱しているときに、事件を起こすなど本末転倒というのが任俠界の考えだろう。新型コロナの感染が収束してからでないと、動けないのではないか。水面下では、組員たちの士気低下を招かないよう戦いに向けて準備を進めているかもしれないが」
六代目山口組にとって分裂抗争の終結は最重要課題であり、長引くほどに「山口組」の勢力維持に支障を来す可能性がある。それは分裂以降、数字として表れており、警察庁が発表した令和元年末時点の全国のヤクザ情勢において、六代目山口組、神戸山口組、絆會の3団体とも、勢力を減退させる結果となったのだ。
その統計によると、六代目山口組は構成員、準構成員合わせて8900人(前年比600人減)、神戸山口組は3000人(同400人減)で、絆會は600人(同160人減)となっている。
3団体の総数は1万2510人だが、分裂前である平成26年末の六代目山口組の全体数は2万3400人。分裂した平成27年からの約4年間で、実に1万890人も減少したことになるのだ。
「構成員数を見ても、今回の発表では3団体合わせて5900人。ただ警察の数字は、あくまでも把握できた分にすぎない。構成員や準構成員の認定は年々難しくなっている上、分裂後は脱退や復帰といった組員の動きも激しい。警察が完全に把握するのは困難だろう」(山口組ウオッチャー)
分裂後、六代目山口組では大阪に二代目兼一会(植野雄仁会長)、岡山に三代目杉本組(山田一組長)といった新たな直系組織が誕生。神戸山口組にしても藤田恭道若頭補佐が現役復帰して二代目英組(大阪西淀川)が参画し、二代目木村會(山本彰彦会長=愛媛)が六代目側の有力組織から移籍するなどした。また、平成30年には六代目側が敵対勢力への切り崩しを本格化させ、多数の組員が“帰参”したとされる。
「激戦区といわれる大阪での直系組織数は六代目側・12組織だが、引き抜き工作が活発になったときは、任侠山口組(現・絆會)の一部の関西勢が弘道会傘下に移籍した。神戸山口組からも、かなりの組員が六代目山口組系列に復帰しているはずで、警察庁発表の数字が実数だとしたら、復帰した組員数以上に離脱者が多いことになる。一方、神戸側の大阪の直系は8組織で、昨年末には太田興業が解散した。両山口組とも勢力維持が年々、難しくなっているのは明らかだ」(同)
ところが、この勢力減少の傾向は、山口組分裂前のほうが著しかったという。
「あくまで警察発表の数字やが、取り締まりが厳しくなったせいか、平成20年前後から準構成員も含めて、毎年およそ3000人ずつ減っていったんや。それでも、ヤクザ業界内の総数が減少していたため、分裂直前の平成26年末では準構成員を含めて、業界全体の43・7%を山口組が占めてたんやで」(ベテラン記者)
警察庁の統計によると、関東最大組織の住吉会(関功会長=東京)や稲川会(内堀和也会長=同)を含む昨年末時点のヤクザ総数は、構成員1万700人、準構成員9700人の計2万400人という過去最少を記録。そのうち、六代目山口組の占める割合は準構成員を含め全体の約30%で、勢力減少に歯止めがかからないとはいえ、全国のヤクザのうち3人に1人が六代目山口組組員なのだ。
しかし、六代目山口組の最盛期には、ヤクザの2人に1人が「菱の代紋」という超寡占率を誇っていた。
平成元年に渡辺芳則組長の五代目山口組が発足し、「数は力なり」の論理のもと、各地で対立抗争を繰り広げながら勢力を拡大。平成2年末当時には約2万6800人が所属し、全国のヤクザ総数(8万8000人)に占める割合は25・6%となった。
「当時、警察庁の統計は構成員と準構成員に分けとらんかったから、正確な数字とはいえないが、その時点で山口組は3割近い寡占率を誇っていたことになるで。バブル景気を背景にヤクザ業界全体が増加傾向となった時期で、山口組の組員数も増加の一途をたどったんや」(前出・ベテラン記者)
全国の独立組織や中立系組織などを、次々に吸収して勢力拡大を図った山口組は、平成4年に施行された暴対法に基づき指定団体となる。初の指定時に兵庫県公安委員会が公表した勢力は、構成員2万3100人、準構成員1万2300人の計3万5400人。同年末には総勢力3万7200人に増え、ヤクザ業界の寡占率は40%を超えた。折しもバブル崩壊による平成不況に突入したが、それが山口組が人員を増やす要因になったともいわれるのだ。
★極秘活動を裏付けた「新報」
「長引く不況の影響でシノギのパイが減り、争奪戦が激化していったんや。他団体との間でシノギが競合した場合、威力を発揮するのが背負っとる代紋の力や。せやから、数で勝っとる“菱の代紋”を求めて、新規加入する組員や中小組織から山口組傘下に鞍替えする組員が、後を絶たなかったんや。“寄らば大樹の陰”いうことやな」(同)
特に山健組は「山口組当代の出身母体」であり、全国にその名が知れ渡った“ブランド組織”であるために組員が急増。二次団体にもかかわらず、最盛期には総勢力7000人とされ、「山健にあらずんば山口組にあらず」とまでいわれた。
司六代目体制が発足した平成17年、山口組の勢力数はピークを迎える。関東の有力独立組織だった國粹会(現・藤井英治五代目=東京)が電撃加入し、同年末には構成員2万1700人(前年比900人増)、準構成員1万9300人(同900人増)、計4万1000人という過去最多を記録した。
当時の準構成員を含むヤクザ総数は8万6300人で、山口組の寡占率は47・5%。さらに、正規組員である構成員に占める山口組組員の割合は50・1%に達した。単一組織の構成員が全体の5割を超えたのは史上初めてであり、超マンモス組織が構築されたのだ。
「当時は全国のヤクザ総数も9年連続で増加傾向にあったが、他の大手組織の勢力が横ばいか微増の中で、山口組だけが大幅に数を増やしていたんや。平成16年に至っては、全国で1200人プラスとなったヤクザのうち、1100人が山口組いう状態やった」(前出・ベテラン記者)
異様な速度で増員していったため警察当局の把握が追いつかなかったのか、正規組員が準構成員扱いとなったケースもあったという。
「当時、警察が『組員20人程度』としとった山口組系の四次団体に、捜査員がガサ入って名簿を押収したところ、約80人もの組員が記載されとったそうや」(当時を知る在阪記者)
末端組織に至るまで組員が増加したことで、4万人体制が達成されたことが分かる。しかし、平成17年が六代目山口組の最盛期であり、翌年は構成員も準構成員も減少に転じ、以降、増加することはなくなった。
「特に全国で暴排条例が施行された平成23年以降は、全国のヤクザ総数が毎年、大幅に減少。六代目山口組でも組員の脱退が急増し、1年間に構成員、準構成員3900人が激減したこともあったんやで」(同)
司六代目体制の発足後、当代とナンバー2である髙山清司若頭の出身母体という“ブランド力”を背景に、弘道会が急速に勢力を拡大。山口の全体数が減少していたにもかかわらず、弘道会は増員し続け、平成22年末には約4000人に達した。しかし、全国各地での暴排条例施行や、警察庁が全国の警察本部に弘道会の弱体化に向けた“弘道会壊滅指令”を出し、徹底的に取り締まりを展開したことも受けて減少は免れなかった。
こうした中で山口組が分裂し、六代目山口組と神戸山口組は血の抗争に突入。逮捕者が続出した上、特定抗争指定を受け、活動が大幅に制限されたのだ。
「分裂状態が解消されん限り、抗争指定は外れん。せやから、今は身動きとれん状態や。この状況が長引けば長引くほど組員たちかて疲弊していくんと違うか」(関西の組織関係者)
昨年11月に神戸山口組・古川恵一幹部が射殺されて以降、死亡事件は発生していないが、六代目山口組の水面下での活動を裏付けるかのように、山口組の機関紙『山口組新報』の最新号が配布された。
巻頭では、今年1月に司六代目も出席して行われた新年会の様子が綴られると同時に、警察当局による“権力の弾圧”にも団結をもって立ち向かっていくという決意が表れていたのだ。
「来たるべき決戦の日に向けた呼び掛けでもあるだろう。総数4万1000人から現在の8900人にまで勢力が減少し、司六代目体制ではピークと最小を経験したことになる。取り締まりに関しても、あらゆる対策が練られてきたはずだ。勢力が減る一方で、経験値は確実に上がっているとみられ、分裂終結に向けて動き始める時期を探っているのではないか」(前出・業界ジャーナリスト)
4月10日には、組事務所の新設を巡る大阪府暴排条例違反の疑いで逮捕されていた六代目山口組・髙野永次幹部(三代目織田組組長)と織田組最高幹部が、略式起訴(罰金50万円)され、現場復帰を果たした。
新型コロナウイルスの終息と同様に、山口組の分裂抗争も出口の見えない状況が続く。しかし、それぞれの“布陣”に揺るぎはないといえ、双方とも抗争再燃に備えているようだ。