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ヒマラヤの雪男 その正体は1958年に解明されていた!?

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画像はイメージです。

 冬や雪山のUMAといえば、真っ先に名前が挙がってくるのが『ヒマラヤの雪男』だろう。現地では『イエティ』と呼ばれるこのUMAは、現地のシェルパ族の間でも雪山に現れる謎の生物として言い伝えられていたが、1887年にイギリスのウォーデル大差が足跡を発見した事により「伝説の生き物が未踏の雪山に実在するのか!?」として、世界中に知られるようになった。

 イエティの姿を遠景に収めた写真も報告されているが、やはり多く残されているのは探検隊らによる「雪山に残された大きな生物の足跡」の写真の数々だろう。一番有名な足跡の写真は1951年にエベレスト探検家のエリック・シップトン氏の発見したもので、横に広い足跡の横に比較対象としてピッケルが並べられたものだ。ちなみにイエティの足跡の目撃証言は近年でも報告されており、2008年には日本の調査隊が細長く20センチほどの大きさの、正体不明の生物のものと思われる足跡を発見し、写真に収めている。

 このイエティの正体については諸説有り、一説には未知の巨大類人猿がヒマラヤに棲息しているという説、新生代に生きていた大型類人猿ギガントピテクスの生き残りがいるという説などが提示されてきていた。だが、近年ではイエティの正体はヒグマを誤認したものではないか、という説が強くなってきている。

 しかし、これらとは別のものが「イエティの正体」であるとして発表された事例があった。それは1958年のこと。ドイツ人宣教師フランツ・アイヒンゲル神父が「雪男と呼ばれているものの正体は雪深い山中に住んでいる現地の修道僧を誤認したものだ」と発表。海外のメディアなどに証拠写真としてその修道僧の写真を提示し、今まで称えられていた「大きな毛むくじゃらの猿」は誤りであると述べたのだ。その記事は昭和33年12月14日付け朝日新聞夕刊にも登場した。

 日本でも、山奥で修行をする修験者や山伏を畏敬の念で見た人々が、彼らを妖怪の「天狗」と称した例があった。ヒマラヤのイエティも、現地の人々の畏敬の念から生まれた存在だったのかもしれない?

写真:日本でも目撃される雪男? 『伊香保温泉獣人』の足跡(漫画家・箱ミネコさん撮影)
(山口敏太郎事務所)

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