OBが現場関与とは、「指導者(コーチ)を気取ってノックをしたり、部員たちを教えること」だ。
関東圏の公立高校の話。その高校は公立ながら、「スポーツで頑張りたい受験生」を“応援する”自己推薦のような入学システムも新たに設けた。同校の野球部は1回戦負けが10年以上も続いたが、「野球部の指導に熱心な教諭が市内中学校(公立)にいる」と聞き、引き抜いたのである。
期待感のようなものは市内にも広がっていった。スポーツ自己推薦制度(仮称)はその流れによるもので、野球部員も一気に70人前後にまで膨れ上がった。学校側は監督の下に3名のコーチ(教諭、学校職員)も置き、応援体制を整えたが、人手が足らない。それが、OBの現場関与に拍車を掛けてしまったのだ。
「最初はノックの手伝いとかやってくれて。ありがたいと思った時期もありましたが」(学校関係者)
OBは監督かコーチにでもなった気でいたのだろうか。平日にも顔を出すようになり、監督を差し置いて練習内容を指示するときもあった。彼らは『教員』ではない。この野球部の卒業生ではあるが、招聘した監督(教諭)のように大学や社会人など「さらに上のレベル」で野球をやったわけではない。技術面での指導には限界があり、彼らは根性論しか言えなくなった。
「公立校とは思えないほど部員数も集まったので、ベスト16とか、ベスト8に進出できるだけの地力は付いてきました。そういう上り調子にある野球部のOBだということ、現在もグラウンドに行って指導しているというのが、OBたちのステータスになっていました」(学校関係者)
部員たちも内心、「平日の夕方に来るなんて、本当に仕事しているのか?」と小馬鹿にしていたが、OBは1人から2人、2人から3人へと増えて行き、土日曜日の練習はまるで『OBたちの同窓会』のような雰囲気になってしまった。
「1年生部員、女子マネージャーはOBたちにも気を遣わなければなりません。練習試合ともなれば、OBたちがネット裏でいろいろ言うわけですよ」(前出・同)
OB会組織の権限、行き過ぎた関与と言えば、こんな話も聞いたことがある。
「T県で一時代を築いた商業高校は監督を交代させました。成績が上がらなかったのも事実ですが、監督交代を強く訴えたのはOB会組織です。後任は卒業生から選ばざるを得ませんでした」
公立高校の話に戻そう。同校監督がこう嘆いていた。
「私はこの学校のOBではないので、OBたちとは協力体制を構築したいと思っていました。ワタシの采配を批判するだけなら我慢できますが…」
OBたちはこうも言っているそうだ。「あの監督(教諭)は5、6年で異動になるが、自分たちは伝統ある野球部を見守る義務がある」−−。公立高校の教諭だから、異動は仕方ない。しかし、学校がOBによる部活動指導を黙認するのは、やはりおかしいのではないだろうか。
「学校は地元の評判を落とすのが怖いんですよ。指導熱心な監督が来て、徐々にですが、県大会の成績も上がっています。地元に後援会組織のようなものもできつつあり、野球部の卒業生のなかには地元出身者も少なくありません。卒業生を排除したとなれば、後援会組織の今後にも影響しかねません」(前出・同)
同監督はこの公立高校から勧誘されたとき、同じ県内で高校監督を務めている大学野球部の先輩に相談した。その先輩は賛成してくれたが、「オマエはその高校の卒業生ではないのだから、覚悟しろ」とも注意された。どの高校でも多かれ少なかれ、OBの関与はある。だが、卒業生ではない教諭が監督を務めるとき、彼らは「余所者」として敵視するという。
どの高校にもOB会組織のようなものはある。だが、強豪と称される有名校、チャンスを掴んだ初出場校などを取材すると、彼らは応援や差し入れこそするが、グラウンドには絶対に降りて来ない。
同監督も指示系統を自分に一本化させるためにも、OBたちに「来るな!」とはっきり伝えるべきである。
彼らの愛校心は百歩譲って認めるとしても、ちょっと聞いてみたい。野球部の伝統って何なのか?(スポーツライター・飯山満)