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ローカル回想記 脚部不安と戦い続けたハーディゴッドを振り返る

 脚部不安を抱え、素質が埋もれたまま引退した馬は、星の数ほどいる。それも、“ガラスの脚”を持つサラブレッドの宿命なのだが…。
 もし、「今のように坂路や、Wコースで調教ができたら、もっと活躍できたと思う」と述懐するのは滝口政司厩務員だ。1985年の新潟記念を優勝した愛馬ハーディゴッドのことである。
 「デビュー当時からトウ骨が痛かった。だから冬場は体が硬くなって、走れなかった」人にはいえない苦労を重ねてきた。しかし、競馬の神様は努力に見合った最高のプレゼントをもたらした。「後にも先にも重賞を勝ったのは初めて」至福の瞬間が20年以上立った今でも鮮明に蘇る。
 その日は朝から雨。滝口さんは「嫌な予感がした」と胸騒ぎを覚えたが、レース前に雨は上がった。水はけの良い新潟コースだったことも幸いし、栄冠を手にしたのだった。
 トウ骨の痛みは慢性的なもので、引退するまで脚部不安と二人三脚で戦った。そんな状態で足かけ5年、39戦(7勝)した愛馬を「無事是名馬だった」と讃える。
 多くの馬がそうであるように、ハーディゴッドも人知れず現役を引退した。新潟記念を勝ったその年の福島記念(13着)が、現役最後のレースになった。引退後はJRAの日高の育成場に寄贈された。
 愛馬との惜別のシーンが、滝口さんの脳裏を走馬灯のように駆けめぐる。「馬主(河内石太郎氏)から『最後まで面倒を見てくれ』と頼まれ、日高の育成場まで一緒に行った」と言う。 
 時間は止まったままだ。また暑い夏がきて、滝口さんは思い出の詰まったハーディゴッドの引き出しをそっと開けてみる。

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