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その他 2007年09月19日 15時00分
取手競輪水戸黄門賞 バンクくんとキャンペーンガールがナイガイ来訪
「砦の森のバンク」にいらっしゃい。27日から30日までの4日間にわたり取手競輪場で開催される「取手競輪開設57周年記念『水戸黄門賞』(GIII)」のPRのため、新マスコットキャラクターの「バンク」くんが18日、関係者やキャンペーンガールの小市洋子さん=写真=とともに東京中央区の本社を訪れた。 記念競輪には武田豊樹選手、十文字貴信選手、長塚智広選手といった活きの良い若手が勢ぞろい。茨城県自転車競技事務所の宇野文治所長(開催執務委員長)は「『水戸黄門賞』に名称変更してから今年で2回目を迎えますが、今回も全国の競輪ファンに満足して頂ける一線級の選手による熱い闘いが見られるものと期待しています。私たちも売上げ目標の90億円をクリアできるようガンバリます」と意気込みを語った。 開催期間中にはお年寄りに好評の頭スッキリ健康体操教室や茨城出身選手によるトークショーといった多彩なイベントも用意されている。また、事前PRの一環として、23日には自転車脚力発電レースの「取手蛍輪」も開催され、記念レース本番を盛り上げることになっている。 なお、全国42の競輪場、51カ所の専用場外(ラビスタなど)で場外発売される。
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スポーツ 2007年09月19日 15時00分
HERO'S 前田日明SVがミノワマンに喝! 「合コン禁止指令」が発動した
「HERO'S 2007」の年内最終興行を終え、前田日明スーパーバイザー(SV)が18日、横浜市内のホテルで会見。PRIDEからの移籍初戦を白星で飾った“本能のリアルプロレスラー”ミノワマンに「準備不足だった」とダメ出し。それどころか奇天烈ファイターもビックリの「合コン禁止指令」を放った。 前田SVが仰天指令だ。17日の「HERO'S 2007」横浜大会に待望の初参戦を果たしたミノワマン。PRIDE移籍後の初戦で“ヒクソン・グレイシーの愛弟子”ケビン・ケーシーを2R TKOで沈め、見事初陣を勝利で飾った。 白星発進でHERO'Sファンに絶好のアピールとなったが、ご意見番の前田SVは手厳しかった。「ミノワマンは明らかに準備不足」。HERO'S初戦にTKO勝ちで圧倒したにもかかわらず、称賛することは一切なし。むしろ淡々と“説教モード”で改善点を指摘する。 ミノワマンへの注文はそれだけに留まらない。前田SVは「あとはとりあえず研究不足っていうのを感じました。これからは練習を考えてやらないと」とピシャリ。まさに「たかが1勝で浮かれるんじゃねーよ」と苦言を呈すかのごとく“前田節”でまくし立てた。 しかし、前田SVが本領発揮したのは会見後だった。前田SVが「なぁ超人っ!」とミノワマンに声をかけると「勝ったからってスッチー合コンするんじゃねーぞ」とズバリ。まさかの「合コン禁止令」を放ち、本能のリアルプロレスラーに自我抑制のススメを説いた。 これまで決して浮名を流したことのないミノワマンだが、前田SVの奇天烈なアドバイスにはあ然とするばかり。これにはさすがの奇天烈ファイターも驚かされたようで「ああ、ハイ。そうですね…」とタジタジ。しどろもどろになりつつ応じるので精いっぱいだった。 「前田さんは『リング外のヘブンはNGだよ』と言いたかったんでしょう。大みそか出場の可能性もあるでしょうし、それだけ期待しているんですよ」とはHERO'S関係者。この日ばかりは前田SVの“猛ラッシュ”にミノワマンが“TKO負け”を喫し、HERO'S初の洗礼を浴びてしまった。
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スポーツ 2007年09月19日 15時00分
リアルジャパン “元祖虎ハンター”小林邦昭がオッパッピーな覆面狩り予告
21日のリアルジャパンプロレス東京・後楽園ホール大会で初代タイガーマスクとおよそ10年ぶりに再戦する“元祖・虎ハンター”小林邦昭が18日、都内の新日本プロレス道場で取材に応じ、“オッパッピー”な覆面狩りをぶち上げた。 初代タイガーとの再会に向けて朝、夜のロードワーク、2時間の筋力トレーニングとスパーリングなど新日プロの中西学をして「どんだけやるんですか」と唸らせるほどの練習量をこなしている小林は、101kgあった体重も95kgまで落とし、体調を作り上げていた。 体調は万全とあってか“元祖虎ハンター”は舌も滑らか、久々の虎との再会を前にマスクはぎを予告する。初代タイガーは小林と名勝負を繰り広げた1980年代当時にのっとったニューバージョン覆面での出場を示唆しているが「新しいバージョン? そんなの関係ねぇ! はいでやるよ。虎退治だ」と小林は人気お笑い芸人の小島よしおばりに左手を上下させながら“オッパッピー”な覆面狩りを宣言した。 そればかりか「長州VS藤波のように、オレとタイガーなら最大限のものを生み出せる。タイガーマスクの力を完全に引き出せるのはオレしかいない。一夜限りの試合で伝説を作ってやる」と今度は江頭2:50ばりの伝説作りまで予告している。 時を超えてなお虎狩りに執念を燃やす小林はオーシャン・パシフィック・ピース(?)な戦いで伝説を作るつもりだ。
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スポーツ 2007年09月19日 15時00分
WAVE 桜花由美がエヴァンゲリオン化!
WAVE第4弾興行が18日、新木場1stRINGで行われた。旗揚げ戦から3連敗中の桜花由美が同団体コーチ役の植松寿絵と対戦したが、連敗を4に伸ばし悔しさをにじませた。その一方で桜花の“エヴァンゲリオン化”が始まっている。 この日はリングインするや、植松のミサイルキックを被弾、自身のガウンで襲われるなど奇襲を受けた桜花。それでも自ら場外に植松を連れ出し机に叩きつけストンピングを連発するなど過去3戦には見られなかった暴走ぶりを披露した。しかし、植松の罠にはまり最後は体固めを切り返され、初勝利はならなかった。 桜花は涙ながらに「相手から目を離したのは私のダメなところです」と自己分析。しかしながら「勝てる相手」に敗れたショックがよほど大きいのか「プロレス頭を鍛えていかないといけない。寝てる時もプロレスをしてます」と現実を受け入れられない様子。やや虚ろな目で「逃げちゃダメだ…」とつぶやいていた。 4連敗しながらも“暴走モード”を見せたことで光明が見え始めた桜花。ファーストインパクトを起こしての初勝利の日は刻一刻と近づいている!?
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レジャー 2007年09月19日 15時00分
オールカマー 3歳馬サンツェッペリンが古馬に挑戦状!
3歳馬サンツェッペリンが古馬相手の「第53回オールカマー」(GII 中山芝2200m 23日)で復帰する。馬インフルエンザの影響で帰厩が遅れ、先週のセントライト記念は間に合わなかったが、ここで古馬を封じ込めれば菊花賞にも大きく弾みがつく。皐月賞2着馬が得意の中山でロングシュートを放つか。 菊花賞を目指すサンツェッペリンが、いよいよここから始動する。 ただ一頭の3歳馬だが、「相手に不足はない。力を計るにはちょうどいい」と高橋調教厩務員は盛んに腕を撫す。一方、「負けても古馬相手だから、いい訳できる」と笑わせた。 ここがダービー4着以来、4カ月ぶりの実戦。気になる仕上がり状態について、高橋さんは「検疫の再開が遅れ、帰厩したのは5日。急仕上げ気味なのは否めない」とトーンダウン。しかし、1週前追い切りをやって「ガラッと良くなった」と変わり身を強調した。一流馬は競馬が近づくと、自分で体をつくるといわれるが、サンツェッペリンも例外ではない。九分通り出走態勢は整うと見て間違いないだろう。 春は京成杯を逃げ切り勝ち(初重賞制覇)。皐月賞はハナ差2着と長蛇を逸したが、スピードと実力はまぎれもなくGI級。悔やまれるのは決して万全の状態ではなかったことだ。 「背中と肩が痛かった。だから、ダービーは激しくイレ込んでいた。あんなにイレ込んだのは初めてだった」と振り返る高橋さん。牝馬のウオッカの前に、4着と後塵を拝したが、満身創痍(まんしんそうい)に近い状態だっただけに、実力の片鱗は示したといえる。 この夏は秋に備えて休養。たっぷり鋭気を養った。その成果は一目瞭然。「疲れが取れ、心身ともにリフレッシュした。精神的にリラックスして、落ち着きが出てきた」と笑顔で話す高橋さん。放牧効果は大きかったようだ。 馬インフルエンザ騒動が少なからず影を落としているが、それを跳ね返すだけの実力が備わっていることは確か。まして、斤量は54kgだ。条件的に見て、ベストパフォーマンスを披露するシーンは十分だ。 【最終追いVTR】松岡騎手を背にWコースで併せ馬を行い、5F65秒3、上がり3F36秒7→12秒9を一杯にマーク。相手を5Fから5馬身追走し、3Fでは3馬身差。4角で外から“合体”したが、久々のせいか、反応が鈍くパートナーの抵抗にあう。それでも、最後はグイッとひと伸びし、1馬身先着。このひと追いで変わり身が見込めそうなムードだ。
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レジャー 2007年09月19日 15時00分
JRA 馬インフルエンザ 出走前調査終了
日本中央競馬会(JRA)は18日、馬インフルエンザの発生確認以降、出馬投票時に行ってきた疫学調査(出走前検査)を終了すると発表した。 JRA施設内における馬インフルエンザが疫学調査等の結果、沈静化していることから決定したもの。JRAは引き続き防疫対策を徹底するとともに、感染の可能性のある馬の検査、消毒等を行っていくことで、20日から出馬投票時の全頭検査は実施しないこととした。
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レジャー 2007年09月19日 15時00分
遠い記憶 池上競馬場の歴史
池上競馬場は1906(明治39)年3月、幕末の一宮藩(現在の千葉県南部)の藩主で、その後、日本農政の父といわれた加納久宣が会長になって組織した東京競馬会が、東京府下荏原郡池上村の池上徳持(現大田区池上6〜8丁目)の水田の中につくった競馬場である。 馬場は1周1800m、馬見所は建坪500坪(約1650平方メートル)、厩舎地区は530坪(約1750平方メートル)あり、当時としては横浜の根岸競馬場に次ぐものといわれ、春秋二期に競馬会を開いた。 馬見所や厩舎は、現在の東急池上線・池上駅付近にでき、池上・本門寺前を通る平間道から競馬場の入り口までの田園地に新道がつくられた。この道がそのまま今、本門寺通りとして、池上駅と本門寺を結ぶ商店街になっている。 池上競馬場は当時、政府が馬券発売を黙認していた時代背景などから開設されたわけだが、わずか3年で競馬法の改正に遭遇することになる。その結果、馬券を発売することが賭博類似行為として禁止になったので、中止のやむなきに至った。 そしてまた、2年後の1910(明治43)年、馬質の改良推奨には、やはり競馬が必要だということで元通りになったが、その後は目黒にできた目黒競馬場が盛んになって、池上競馬場が復活することはなかった。 競馬場の跡は荒廃し、大正時代、耕地整理の時につくられた道路で縦横に切られてしまった。しかし、馬場をつくるために土を掘り下げた後の池や、馬場の跡の草原がほとんど原形のまま残っていたため、子どもたちのよい遊び場や釣り場となった。現在の徳持小学校周辺の住宅地がその地区にあたる。 ところが、これも1936(昭和11)年に目蒲電鉄不動産部が盛土し、分譲地として売り出されてしまう。池上競馬場の跡は、今はもう面影すら見ることはできなくなった。 ※参考文献/大田区史年表(写真=池上本門寺から池上駅までの本門寺通りにわずかに池上競馬場の名残がある)
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ミステリー 2007年09月18日 15時00分
鎌倉に出現したUFO その目的は!?
「謎の発光体が飛んでいた!」NMRには毎週たくさんの情報が寄せられる。多くの読者からの反響はうれしい限りであるがその中でもニュースとして扱える情報はごく一部、1000通に1通あるかないかというのが現実だ。しかし、今回、鎌倉市在住の角間マコトさん(仮名)が送ってきた携帯電話のムービー画像は、これまで報告されているUFOの目撃証言と酷似していため我々は早速鎌倉に足を運び角間さんを直撃してみた。 「アレは今年の8月29日のことです。夜、犬の散歩をしていたとき北のほうの空からその発光体が飛んできました。この辺は色々な基地があるのでしょっちゅう飛行機が飛んでいるのですが飛行機にしてはあまりにも不自然な動きをしているので急いで携帯のムービーでその発光体を撮ったのです。その発光体は途中クルクルとさまよいそして江ノ島から横須賀の方に消えてゆきました。私はすぐ江ノ島に住んでいる知人に電話をすると彼女もたまたまその発光体を目撃していたんです。しかも、翌日首にできてきていたオデキが直っていたのも一緒でした。『おかしな偶然が重なるね』と二人で話していたんです」 私たちは角間氏へのインタビューのあと、まだ少し跡の残る首筋の写真を撮らせてもらい、それを株式のデイトレーダーでありながら超常現象の研究家でもある柳タカシ氏に診てもらった。柳氏はしばらくすると目視で確認できる勢いで青い顔になってゆく。 「あなたたちに江ノ島・鎌倉方面に住んでいる知り合いがいたら8月29日頃、彼らが首筋になんだかの変化があったかどうかすぐに調査して欲しい」 柳氏はまるで命令口調で私たちに指示を出した。何がなんだが全く理解できていないNMRの面々だったが切迫した柳氏の表情に押される格好で調査を開始。すると驚くべき事に27人の知人のうちなんと8人もの人間が首筋に感じていた違和感が8月29日頃を境に解消したというのだ!身内の調査とはいえ確かに異常な数字である。我々は再び柳氏の元を尋ねた。 「ええ、実は1994年のサンフランシスコでも同じような報告がされています。実際にアメリカではかなり綿密な調査が行われ、いまだその調査結果は極秘扱いとなっています。しかし、政府関係者筋の情報によると首筋に埋められた情報チップを宇宙人が取りにきたのだと…。あまり驚きなく彼らが話していた事に衝撃を受けたのを覚えています。この写真の傷跡はその時見た写真と非常に良く似ています。何かの偶然だといいのですが…」 驚きを通り越し固まる我々を尻目に柳氏は淡々と語る。なんと恐るべき話であろう!宇宙人が我々に埋め込んだ記憶装置を取りに来ていたというのだ。謎の発光体、首筋の傷跡…確かに宇宙人が原因であるならば我々の調査ではじき出した異常な数字の辻褄は合う。一刻も早く国家に真相の究明に乗り出してもらいたいものだが、柳氏は力なく笑って我々の訴えを否定した。 「江ノ島、横須賀方面といえば自衛隊、米軍と国家機関が入り乱れさらに小泉元首相のお膝元です。調査をしてないワケがない。私たちの本当に知りたい情報は常に闇から闇へと消えてゆきます。あの謎の発光体のように。このニュースだって記事になるかどうか分かりませんよ。それだけの権力を持った人間が絡む話ですから」 それから、柳氏は独自のネットワークを使い「なぜこの時期に?」「なぜ江ノ島、横須賀に?」という疑問について調査を開始。我々も納得する一応の答えを出してくれたが、それはとてもこの場で書ける内容ではないので伏せておく。この時点で出来る話はただ一つ。私たちの首にもなんだかの情報チップが埋め込まれているかも知れないということだ。 柳高(ヤナギ・タカシ) バブル時代大手証券会社に勤務。バブル崩壊後は非合法カジノの運営に携わり数々の闇の世界に関わり超常現象の研究家の一面も持つ。現在は証券会社勤務のキャリアとカジノ時代の情報を生かしデイトレーダーとして莫大な資金を運用し利益を上げている。最近は氏のこれまでの体験を一冊の本にまとめる作業に追われている。(写真(上)=携帯電話のムービーで撮影されたUFO、写真(下)=目撃したUFOの動きを絵に書いて説明する角間マコトさん)
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スポーツ 2007年09月18日 15時00分
HERO'S ヒクソン出陣決断! その舞台裏と障害とは?
「HERO'S 2007」の年内最終興行が17日、神奈川・横浜アリーナで行われ、“400戦無敗の男”ヒクソン・グレイシーがHERO'S出撃を表明した。ついに7年間の沈黙を破りリングに舞い戻ってきたヒクソン。これまで頑として表舞台に出てこなかった伝説の男に、今回は一体舞台裏で何があったというのか。 とうとうヒクソンが最終決戦の腹をくくった。この日のHERO'Sでミノワマンと対戦した弟子のケビン・ケーシーに帯同する形で来日したヒクソン。タンクトップに短パンというラフないでたちで会場入りすると、第4試合に行われた弟子のデビュー戦のセコンドについた。 ミノワマンに惨敗した弟子を険しい表情で見守ったヒクソンだが、休憩後には満面の笑みでリングに登場するとHERO'Sファンにあいさつした。「コンバンワ、ジャパン」。2000年の「コロシアム2000」で船木誠勝を下して以来初めて伝説の男が日本のリングに上がったことで、会場のボルテージは最高潮に達した。 7年の沈黙を破ったヒクソンが続ける。「HERO'Sのリングに上がってファイターとして血が騒ぎます」。そう切り出し胸中をブチまけると「そのときはセコンドとしてではなく、戦うためにこのリングにあがりたい」「永遠に戦うことはできないが、もう1戦、闘うことができる。近い将来その舞台が訪れることを望む」などとHERO'S出撃を表明した。 するとこの日の興行で桜庭和志やミノワマンらが対戦に名乗り。当の本人はあくまで対戦相手は「プロモーターから言われる選手」としたが、ミノワマンには「技術で驚くことはなかったから…」と眼中にないことを通達し、再戦要求していた船木誠勝も「一度勝っているから自分からはオファーしない」とバッサリ。ただ、対戦ラブコールを受けた桜庭にだけは「興味あるうちの一人」と呼応してみせた。 ヒクソンVS桜庭が有力となったが、時期については谷川貞治実行委員が「一番早くて大みそかですね。対戦相手を含めてこれから交渉します」。とはいえ、大みそか決戦の交渉が難航するのは必至の情勢。なぜなら今大会にヒクソンを担ぎ出した舞台裏にも相当な苦労があったからだ。 「今回ヒクソンは弟子のケーシーがプロデビューすることと、そのセコンドという名目で来日したんですが、どうしてなのか、結局来たのはケーシー来日の翌日でした。しかも、ケーシーが会場近くのホテルに泊まったにもかかわらず、なぜかヒクソンは別の高級ホテルに宿泊。大みそかもあのVIP待遇を用意しなければなりませんから考えものですよ」(HERO'S関係者) 大みそか決戦の障害はそればかりではない。今度はHERO'Sを放送するTBS関係者がため息をつく。「当初2、3億円というベラボーなファイトマネーを要求していましたが、そんなんじゃ採算ど返しもいいところ。とはいえ、いまだに法外マネーを要求しているようで、今回の来日中にどう折衝できるかでしょう」。 HERO'S電撃参戦を表明したヒクソン。今後の動向からますます目が離せなくなってきた。
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スポーツ 2007年09月18日 15時00分
HERO'S KID復活戦は不本意な判定勝ち。その背景には意外なワケが
レスリングで北京五輪出場を目指した山本“KID”徳郁が、およそ9カ月ぶりにHERO'Sに帰還したが、柔術世界王者のビビアーノ・フェルナンデスを相手に本意な判定勝ち。しかし、KOできなかった背景にはまさかの理由があった。 寝技狙いのビビアーノに何度もグランドに引きずり込まれ、1Rには腕十字であわや一本負けのピンチも。その後は得意のスタンドでパンチを浴びせて3-0の判定で勝利したが「寝技を警戒しすぎた」と試合後はKID自身も反省しきり。 だがKIDにはもう一つの反省点があった。「ヒゲを剃り忘れて嫌な予感がしてたんだよね」と久々の試合とあって浮き足だっていたのか、ルーティンワークを忘れてしまったという。いつもはオシャレに決め込み若い女性にカリスマ的人気を誇る“ヴィジュアル系”のKIDだが、確かにこの日は頬のあたりがうっすら青くなっていた。 谷川EPが来年のライト級トーナメント開催を「KIDのやる気、意志次第」と明言し、HERO'S軽量級の成功はKID人気の双肩に懸かっているが、“ヒーロー”らしからぬうっかりミスで、仮に女性ファンにそっぽを向かれたとあってはトーナメント開催も危ぶまれかねない。 「次はしっかり剃ってすっきりKOするよ」と苦笑いを浮かべていたKID。次戦はヴィジュアル的にもすっきりし、持ち味でもある豪快なKOですっきりした勝利を狙うことを誓っていた。
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GI秋華賞追い切り速報 春の実績馬を脅かす不気味な存在 究極の上がり馬 サンドリオン絶好
2006年10月11日 15時00分
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大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
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GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
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アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
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よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
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マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
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中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
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