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70名以上の少年院生が施設から脱出!?【衝撃の未成年犯罪事件簿】

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 一度捕まった人物が牢を破り、施設の外に出てしまう行為「脱獄」。
 近年(2018年)でも、大阪府警富田林警察署から被疑者1人が脱走。49日間に渡り脱走劇を繰り広げたことが話題になったが、昭和の時代は「脱走」に関してのスケールもまた大きい。

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 今回は戦後、昭和29年(1954年)に発生したトンデモナイ脱走劇を紹介したい。
 この年の8月26日、千葉県印旛郡にある特別少年院で多くの院生が一斉に脱出する事件が発生した。脱出した少年院生は、なんと76人に及ぶ。

 彼らは授業中に院生が教官に石を投げつけたことをきっかけに、一斉に大暴れ。ガラス窓を割り農作業の道具である鎌やクワ、こん棒などを手に教官に襲い掛かった。
 「おい!やめろ」と教官は院生を捕まえようとするが、100人近い少年達が一斉に暴れたため、教官たちは取り押さえることができず、76名の院生が塀を乗り越え、外に出てしまった。
 
 この脱出で、教官2名は割れたガラスで胸を刺されるなどで重傷。飛び出た院生のほとんどが殺人や強盗犯などの凶悪犯罪者だったことから、警察は青くなり、四方八方を尽くして脱走した院生を捕まえに向かった。

 幸い特別少年院の近くに住宅はなく、走って逃げるしかないため、42名は警察が午後2時までに無事に保護できたが、残りは取り逃してしまい、東京方面にまで散ってしまった。
 だが、当時の少年院生は白いズボンに裸足という姿で目立つため、翌日27日までには逃亡した70名あまりが無事保護された(中には途中で自殺した院生もいたという)。

 なぜ、76名もの集団脱走になったか? それは、少年院内の縄張り争いの影響が強いという。
 数か月前、印旛特別少年院には、八街少年院、小田原少年院からおよそ100名近い院生が移管してきたという。

 そのため、院内では少年院生による縄張り争いが起こり、その結果「少年院を脱出して自由になろう」と有志が作戦を企てたのがキッカケだという。
 当時は戦争の影響で不良化する少年も多く、少年院はかなり狭くなっており、若い少年たちは、一日も早く少年院から脱出したかったそうである。

 なお、70名を超える少年院生の集団脱出は戦後では類例がなく、この集団脱走劇は今も千葉県の警察内部では有名な話だという。

文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)

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