search
とじる
トップ > スポーツ > 新・時津風親方、波乱の船出も指導には期待? 現役時代は土俵内外で苦労、不祥事続きの部屋を立て直せるのか

新・時津風親方、波乱の船出も指導には期待? 現役時代は土俵内外で苦労、不祥事続きの部屋を立て直せるのか

pic pic

画像はイメージです

 日本相撲協会が新型コロナ対策ガイドラインで不要不急の外出を禁ずる中、1月場所期間中(同月10~24日)に雀荘や歓楽街に複数回出向いたとして物議を醸した時津風部屋の時津風親方。2月22日、協会が臨時理事会で親方に退職勧告を決議し、複数メディアもこれを報じた。

 協会コンプライアンス委員会は同月16日に退職が妥当とする処分案をまとめ八角理事長に答申。その後22日に開かれた協会臨時理事会でも、反対意見が出ることなく退職勧告が決議されたという。

 >>雀荘通いの時津風親方だけじゃない! 一般人を金属バットで殴打、現役時代の八百長発覚…不祥事で身を滅ぼした親方たち<<

 今回の一件により、時津風部屋ではそれまで力士たちを指導してきた師匠が部屋を去る事態となった。その部屋を時津風の名跡と共に継承することが同日の理事会で承認されたのが、2016年1月場所後から部屋付き親方を務めていた間垣親方(元幕内・土佐豊)だ。

 現在35歳の間垣親方は、東京農業大学から時津風部屋に入門し2007年3月場所で初土俵を踏んだ。1年後の2008年3月場所で新十両に昇進すると、その後も2009年7月場所で新入幕を果たし、2011年7月場所では前頭筆頭に番付を上げるなど順調に出世した。

 ところが、同場所の3日目・琴欧洲(現鳴戸親方/当時大関)戦で左膝前十字靭帯を痛めたことで土俵人生が暗転。負傷の影響により2012年3月場所で十両に転落すると、その後も不振・休場が続き2013年1月場所では三段目まで番付を落とした。当時の報道によると、相撲はおろか歩くことすらできない時期もあったという。

 それでも、半年間に及ぶリハビリを経て復帰した2013年3月場所で「7勝0敗」と三段目を制した間垣親方は、これ以降徐々に番付を戻し2014年5月場所では十両、2015年1月場所では幕内にそれぞれ復帰。ところが、故障した左ひざをかばってきた影響なのか、同場所では右ひざを故障。これ以降は一度も勝ち越しできないまま、三段目で迎えた2016年1月場所中に現役を引退した。

 引退後の間垣親方は安治川(2016年1~10月)、佐ノ山(2016年10月~2018年4月)、間垣(2018年4月~2021年2月)と何度か名跡を変更しつつも、一貫して時津風部屋で部屋付き親方を務めている。指導力や部屋内外での仕事ぶりは協会からも高く評価されているようで、2019年1月には協会内では花形部署と呼ばれる審判部に33歳の若さで異動したことが話題となった。

 こうした経緯を経て今回部屋持ち親方になることとなった間垣親方だが、新・時津風親方としては困難な船出になるかもしれない。今回の師匠交代は定年を理由とした円満なものではなく不祥事によるものであるため、最初の仕事は部屋の後援者への謝罪行脚となることが予想される。思うように弟子を指導する時間が取れない可能性もあるため、部屋付き親方である枝川親方(元幕内・蒼樹山)、中川親方(元幕内・旭里)、井筒親方(元関脇・豊ノ島)の力も借りながら乗り切る必要があるだろう。

 一方、これまで約11年にわたり時津風部屋で部屋付き親方を務めてきた経験を考えると、大関・正代を筆頭とした部屋の所属力士たちへの指導にはそこまで支障は出ないものと思われる。なお、角界では2020年12月、高砂部屋の師匠が先代高砂親方(元大関・朝潮)の定年により、2017年5月から部屋付き親方を務めていた現高砂親方(元関脇・朝赤龍)に交代。師匠交代前後の所属力士たちの成績は、同年11月場所が勝ち越し11人、負け越し11人、2021年1月場所が勝ち越し12人、負け越し10人と大きく変わってはいない。

 また、間垣親方は先々代・時津風親方や当時の部屋所属力士の一部が新弟子に暴行を加え死亡させた、いわゆる時津風部屋力士暴行死事件(2007年6月)が起きた当時部屋に所属していた人物でもある。怪我に泣いた現役時代の苦労に加え、2代続けて師匠を不祥事で失った苦悩も知ることから、今回の部屋継承後は弟子に寄り添った師匠になることが期待される。

 先代の不祥事に揺れた部屋を率いることとなった新時津風親方。不祥事のイメージを払しょくするような力士を育て上げることはできるだろうか。

文 / 柴田雅人

関連記事

タグから探す


スポーツ→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

スポーツ→

もっと見る→

注目タグ