これまで『江』の秀吉はバカ殿のようであると酷評されていた。千利休(石坂浩二)からは下心を見透かされ、おね(大竹しのぶ)からは呆れられ、石田光成(萩原聖人)の前で醜態をさらす。百姓の身から織田信長に抜擢された才覚や「人たらし」としての魅力が根本的に欠けていた。朝鮮出兵などの負の側面がある豊臣秀吉は戦国三英傑の中で悪く描かれることが定番であるとしても、ここまで天下を掌握する前の秀吉を貶める作品も珍しい。
『江』の秀吉の問題は、傍からは秀吉が間抜けに見えることである。秀吉は市(鈴木保奈美)や茶々(宮沢りえ)を自分のものにしたいと邪心を抱いている。ドラマで描かれる秀吉は、そのことで頭がいっぱいである。表向きは否定し取り繕っているものの、秀吉の邪心は周囲の登場人物に丸分かりである。このような秀吉に光成のような切れ者が忠義を尽くすことは、ドラマの説得力を欠けたものにしてしまう。
ところが、今回の秀吉は一皮むけた。秀吉は江を離縁させるが、卑劣な策略を用いた。そして江や茶々、初(水川あさみ)、おね、光成らの前で自分の策略であると悪びれずに白状する。江の怒りを自分に向けさせ、怒りを爆発させる江を見て歓喜する。この秀吉は擁護する余地がない悪役である。しかし、見え透いた嘘で取り繕うことをしない点では正直である。これは「織田信雄との戦を避けるため」という虚偽の名目で江を嫁がせた時とは対照的である。
この「やりたいことをやる」「欲しいものを獲得する」というストレートさは、悪の魅力とでも言うべきものである。残忍な独裁者であった秀吉が「太閤さん」人気を有する一因でもある。その意味で今回は秀吉が周囲に遠慮せず、本音を通す転換点とも言える。ちょうど今回は秀吉の趣味が反映したキンキラキンの大阪城も完成した。自らの欲望に正直になった秀吉に注目である。
(林田力)