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中国のタイタニック。太平輪沈没の謎(2)

 太平洋戦争後、中国大陸では蒋介石率いる国民党と、毛沢東率いる共産党との間で、激しい内戦が繰り広げられていた。いったんは国民党が中国の広い地域を支配下においたものの、共産党の反撃によって勢力は逆転し、各地で敗走を続けていた。そのため、国民党の拠点である上海には、共産党の支配を逃れた難民が押し寄せ、台湾への脱出を図っていたのである。

 そして、共産党軍が上海に迫るとの情報を受け、現地の国民党支持者や政府関係者、銀行や新聞社も含めた要人の大量脱出が始まった。そのため、台湾行きの最終便かもしれないと思われた太平輪には政財界の要人が多数乗船し、また銀行の証券から新聞社の印刷用紙に至るまで、大量の避難物資も搭載された。太平輪は中国暦で大晦日となる1月27日の4時頃に上海を出港し、台湾の基隆を目指したのである。

 しかし、太平輪はその日の深夜11時半過ぎ頃に、基隆から上海に向けて同じ航路を逆に航行していた貨物船の建元輪と衝突、相手方の乗員を救助した後、付近の島へ乗り上げようとしたものの、たどり着けずに沈没してしまった。その上、太平輪は遭難信号を発することなく、最後の瞬間まで避難を決断しなかったため、乗客乗員は船もろとも沈没、あるいは海へ投げ出されてしまったのである。船長を始めとする船員の多くは船と運命を共にし、辛くも脱出した人々も救命具すらないまま冷たい冬の海を漂った挙句、体温の低下によって身体が動かなくなり、大半が溺死したという。

 翌朝、たまたま付近を航行していたオーストラリアの駆逐艦ワラマンガ(HMAS Warramunga)が35名を救助したほか(救助後1名死亡)、地元の漁師も十数名を救助したが、その他の乗員乗客は全員死亡した。正確な乗船人数は不明だが、恐らく犠牲者は1000人以上に達すると考えられている。

 太平輪の事故は中華民国における最悪の海難となったばかりか、政財界の著名人が犠牲となり、さらに銀行と新聞の重要書類も失われたため、当時の中国社会に極めて深刻な影響を及ぼした。いつしか、太平輪は「中国のタイタニック」と呼ばれるようになり、昨年には日中韓のスターが出演する映画も公開された。

 しかし、太平輪の遭難には数々の謎や、不自然な点が存在しており、もっとも重要な沈没原因でさえ、現在に至るまで解明されていないのだ。その謎とは、いかなるものであろうか?
(続く)

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