プロ野球
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スポーツ 2020年02月14日 11時10分
オリックス、紅白戦は田嶋&荒西&山崎福&張が好投も投手陣に明暗…
オリックス春季キャンプ第3クール最終日▽13日 宮崎・清武SOKKENスタジアム紅白戦(6回制)白6-3紅 オリックスは13日、春季キャンプ第3クール最終日を迎え、紅白戦を行った。 今回は、紅白ともに先発ローテーション候補の6投手が2イニングずつ登板するとあって、投手陣の仕上がり具合に注目が集まる紅白戦となった。 白組先発の田嶋大樹、紅組先発の荒西祐大は、ともに2回を無失点に抑える好投。西村徳文監督は「きょう荒西が悪くなかったので、23日のオープン戦先発、3イニングで行こうと本人に伝えます。(荒西は)いいというか、それだけ期待しているということですよね。田嶋は3番手に来てもらいたい」とコメント。ここまで安定を見せている田嶋は、このまま行けば山岡泰輔、山本由伸とともに開幕ローテーション入りする可能性が高い。荒西は「(向かっていく姿勢を) 去年の終盤から、そういうのが見えていて、紅白戦でも維持してくれている。そういうものを出して打たれるならば、大丈夫ということですよね」と西村監督の評価が高いことから、対外試合の内容を見て判断することになりそうだ。 2番手は白組のK-鈴木が2回3失点、紅組の榊原翼が2回6失点の大乱調。榊原は2度目の登板でいずれも結果を残せなかったが、西村監督は「次がないわけではない」と語り、榊原にまだチャンスを与える考えを明らかにしており、榊原も「球は来ているので、あとは気持ちの問題。切り替えます」と前を向いた。もともと尻上がりに調子を上げる選手だが、今年は投手も野手も仕上がりが早い選手が多いのも事実。榊原は焦らず次回の登板に向けて調整し、今年も開幕ローテーションに食い込んでもらいたい。 野手では、西浦颯大が前回の紅白戦から4打席連続安打の大アピール。西村監督は「西浦は前回も2本打って、きょうも打っているわけですから。選手も必死に取り組んでくれている」と高評価。この日、“らしい”バッティングを披露した後藤駿太とのレギュラー争いが過熱するだろう。西浦は「今は球が見えている」と話しており、今後は課題を一つずつクリアしていくとのこと。 3番手は白組が張奕、紅組は山崎福也がそれぞれ登板し、2回を無失点に抑えた。張はローテーション候補に踏みとどまり、ロングリリーバーとしても期待が出来る福也は、四球が目立った前回とは違って、力みのないピッチングで、テンポの良さが目立っていた。次回の紅白戦は天候を考慮して、16日の予定を前倒し、15日の朝10時から行われる。 (どら増田)
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スポーツ 2020年02月13日 22時30分
清原氏、Youtube出演で巨人時代の悪行を暴露も、「顔色」の方に注目集まる?“クスリ断ち”順調か
巨人(1998-2005)、中日(2006-2014)でプレーした元プロ野球選手の小田幸平氏のユーチューブ動画に、西武(1986-1996)、巨人(1997-2005)、オリックス(2006-2008)で活躍した元プロ野球選手の清原和博氏が出演。その清原氏の動画内での姿が話題となっている。 先月25日に、小田氏が自身のインスタグラム上で予告していた清原氏のゲスト出演。その後2月7日に1本目の動画が公開され、続けて10日に2本目、12日に3本目の動画がそれぞれ公開されている。 1本目の動画で清原氏は、1997年から2005年にかけての巨人時代に関するトークを展開。「お前(小田氏)兵庫県出身やから、元木(大介/現巨人一軍ヘッドコーチ)と俺でいじり倒したんやな」と、1998年に入団してきた小田氏に対する“イジり”の数々を暴露した。 2本目の動画では、意中の巨人ではなく西武に指名された1985年ドラフトについて回顧。「パ・リーグ(からの指名)やったら(社会人野球の)日本生命に行こうと思ってたのよ。あれ何試験っていうの?面接みたいなの。あれも行ったし」と、当初は社会人入りも考えていたことなどを告白した。 3本目の動画では、現役時代に対戦した投手の1人である伊良部秀輝さん(元ロッテ、阪神など/2011年に死去)について言及。「俺は死球は絶対避けなかったけど、このボールだけは『当たったら死んでまう』と思った」と、伊良部さんの球が自身を震え上がらせるほどの剛速球だったことなどを明かした。 ここまでアップされている3本の動画を受け、視聴者からは「懐かしい、当時の小田はいつも清原にシメられてたな(笑)」、「日本生命に行ってたかもっていう話は初耳だ」、「さすがの清原でもあの投手の剛速球は怖かったのか」とそれぞれの動画内容に対する反応が数多く寄せられている。 一方、「雰囲気がだいぶ明るくなったなあ、目も優しくなったし」、「なんか顔色が良くなって若返った感がある」、「以前より呂律が回ってて話も聞き取りやすくなってる」と、動画の内容以上に注目が集まったのが清原氏の顔色や口調だった。 「清原氏は昨年12月にPL学園時代の後輩で元プロ野球選手の片岡篤史氏のユーチューブ動画に出演していますが、この時は『目つきが怖い』、『呂律が回ってない』といった心配の声が複数寄せられており、中には『裏でまた薬物やってるんじゃ…』というコメントも散見されました。ただ、小田氏の動画内では一転して終始にこやかに喋っていたので、胸をなで下ろしたファンも少なからずいたようですね」(野球ライター) 清原氏は2016年6月に確定した4年の執行猶予期間が、残り4カ月で終了する予定となっている。これもまた、顔色や雰囲気に注目が集まる要因となったのかもしれない。文 / 柴田雅人記事内の引用について小田幸平氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UCl5XxVyJYNq7gOkemprMBiA
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スポーツ 2020年02月13日 17時30分
DeNA、東克樹がトミー・ジョン手術を決断! 松坂・ダルビッシュら多くの大投手が受けた手術で完全復活を
3年目となる東克樹が左肘靭帯損傷のため、トミー・ジョン手術を受けることを決断した。2018年のルーキーイヤーは11勝を挙げ、文句なしの新人王に輝いた左腕だが、そのオフに左肘違和感を発症。昨シーズンもなかなかコンディションは上がらず4勝2敗、わずか7試合登板に終わった。契約更改の際には、肘について「問題なく万全です」と語っており、「下半身強化を重点に、勢いのある真っすぐが戻るようにしたい」とし、オフにはフォームの見直しにも着手。自主トレでは、笑顔で「(苦手の)阪神戦に勝てる投手に」と語るなど、復活に手応えを感じていたところでの再発は、本人も周囲もショックな出来事となってしまった。 しかし、以前は悲観的に捉えられていたトミー・ジョン手術だが、近年は松坂大輔や、同じ松坂世代の和田毅、藤川球児らは未だに現役。メジャーで活躍するダルビッシュ有も手術から復活、大谷翔平も2018年に執刀し、今シーズンの5月にはピッチャーとして復帰が濃厚と言われている。このように完全復活するプレーヤーは多く存在し、日本では保険適用となるほどのメジャーな手術となっている。 もちろん、復帰までには過酷なリハビリが必要となり、一般的には1年半程度の期間が必要になると言われている。ベイスターズでも、昨年8月にトミー・ジョン手術を受けた田中健二朗も、現在リハビリに取り組み、ちょうど術後1年程度の夏場に実戦復帰を見据えている。同じ左腕の先輩が経験していることも、東には参考になるであろう。また、同手術の経験者である藤井秀悟が、今シーズンからバッティングピッチャー兼広報としてベイスターズに復帰。トレーナーの他にも、アドバイスを貰える環境も整っている点は追い風となると言える。 復帰後には球速が上がる症例も見られるトミー・ ジョン手術。今シーズンは東のピッチングは見られないが、来シーズンにはリニューアルし、一層パワーアップした姿をマウンドで魅せてくれることに期待したい。取材・文 ・ 写真/ 萩原孝弘
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スポーツ 2020年02月13日 13時07分
鳥谷・新庄クラスの大物が加入? 沖縄新球団・琉球、元NPB選手の入団を予告 大がかりな記者会見にファンも期待
昨年7月に沖縄で創設されたプロ野球チーム『琉球ブルーオーシャンズ』。その琉球が12日に公式ツイッターに投稿した内容が、ネット上のプロ野球ファンの間で話題となっている。 琉球は特定の独立リーグには所属せず、日本野球機構(NPB)が将来参入枠を拡大した場合に新規球団として加盟することを目標に置いているチーム。チームを設立した東京のスポーツマネジメント会社『BASE』が親会社を務め、運営面では、広告スポンサーの募集や一口オーナー制度の導入などに取り組んでいる。 チームは現在、沖縄・八重瀬町の東風平運動公園野球場で春季キャンプ(1月25日~2月21日)を行っており、キャンプ後の29日には、巨人三軍を相手に、球団初のシーズンとなる2020年シーズンのオープニングゲームを行う予定となっている。 12日にツイッターに投稿した琉球は、「記者会見のお知らせ 2月14日 15:30から沖縄県県庁にて、元NPBの新入団選手発表およびお披露目と、重要な契約締結に関し記者会見を行います」と告知。また、「報道機関の皆様、参加をお願い致します」と、各メディアに対して記者会見への参加を広く呼びかけてもいる。 今回のツイートを受け、ネット上のファンからは「名を伏せてるってことは大物選手なのか?」、「わざわざ告知するくらいだから知名度のある選手だろうな」、「ここまで大がかりな入団発表だとなんかわくわくする」、「県庁で会見開く位だからさすがに『誰?』って事はないと思う」といった反応が多数寄せられている。 「琉球には、新設以降現在までに9名の元NPB選手が入団していますが、全員入団の際は、公式サイト上で『○○選手入団のお知らせ』といった形で発表されており、今回のように名前は伏せられたまま、入団だけが先に発表されたような選手はいません。各報道機関に広く会見への参加を呼びかけていることも含めて考えると、新しく入団する選手はかなり名が通っている選手なのではないでしょうか」(野球ライター) 鳥谷敬(元阪神)、新庄剛志(元阪神・日本ハム)、川崎宗則(元ソフトバンク)、西岡剛(元ロッテ・阪神/現BC栃木)など、様々な元NPB選手の名も取り沙汰されている今回の一件。果たして、14日に入団が発表されるのは一体誰なのだろうか。文 / 柴田雅人記事内の引用について琉球ブルーオーシャンズの公式ツイッターよりhttps://twitter.com/RYUKYUBLUEOCEAN
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スポーツ 2020年02月13日 11時35分
巨人、レギュラー争いに“伏兵”が出現? 打撃・走塁で高評価、導入が検討される新制度にも影響か
良い意味で、原辰徳監督のチーム構想が崩れつつあるようだ。育成2年目の外国人選手、イスラエル・モタ外野手が紅白戦(2月8日)でも快音を響かせ、支配下登録はもとより、「レフトか、一塁のポジションで一軍戦に出場するのではないか?」なんて声も上がっていた。 「首脳陣の評価も高いようですね。打つだけではなく、走塁面でも。紅白戦・第二打席で左翼線上に運び、躊躇なく、二塁まで走りました。アウトにはなりましたが、その積極性が高評価につながりました」(取材記者) 右の大砲候補、伏兵出現といった感じで、モタの奮闘ぶりが各紙でも伝えられていた。しかし、巨人ファン、社会人、学生野球の間では、ちょっとした有名人でもあったのだ。昨季の巨人三軍戦、主に育成選手で戦う社会人・学生とのプロ・アマ交流試合で、モタはケタ違いの本塁打を見せつけてきた。筆者も偶然、モタの左翼方向への一撃を見たことがあるが、日本人選手には打てないその飛距離と打球の高さは圧倒された。 もっとも、アマチュアのピッチャーにはケタ違いのパワーを見せつけても、昨季の二軍成績は「やや苦戦」といったところだった(22試合1本塁打)。来日2年目のこのキャンプで、その成長を見せつけたようである。 「キャンプ後半、一軍は沖縄に移動しますが、現時点ではモタも連れて行くようです。オープン戦で結果を出せば、支配下登録も見えてきます」(前出・同) 雨天で室内練習となった12日、年俸150万ドル(約1億6000万円)の助っ人、ジェラルド・パーラが、打撃練習中のモタにアドバイスを送っていた。ポジションを奪われかねないライバルへの助言。パーラの人柄か、それとも、元メジャーリーガーの余裕か…。 「モタ、育成出身のメルセデスなどもそうですが、全球団の育成選手は練習熱心。日本人の育成選手も同様です」(ベテラン記者) 覇者・ソフトバンクがそうであるように、育成から這い上がってくる選手が多いチームは強い。打つ、走る、肩の強さなど一芸に秀でた選手を獲って育てていくという育成枠は、これからのプロ野球界にとっても必要なシステムだろう。 しかし、こんな見方もできる。モタのような練習熱心な選手を見ていたら、コーチたちは「試合に出してやりたい」と思うだろう。モタに刺激を受けた二軍選手も発奮するだろうから、こちらにもチャンスを与えてやりたい。試合数は限られている。その時、どうなるのか? 「選手会は『出場機会の少ない選手』のチャンスを広げるため、現役選手のドラフト会議(ブレークスルードラフト)の導入を訴えています。目下、指名対象選手の基準を巡って、経営陣との話し合いが続いており、草案作りにも苦労しています」(前出・同) せっかく育てた若手が他球団に奪われてしまうなんて事態にもなりかねない。たしかに、“飼い殺し”は良くない。とは言え、ここまで育ててきた首脳陣の気持ちを考えると…。若手選手、育成枠選手の成長を単に喜ぶだけの時代ではないようだ。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2020年02月12日 19時21分
野村克也さん、野球人生の命運を左右した人がいた? 『徹子の部屋』に登場、幼少期の秘話を明かす
虚血性心不全のため、11日に84歳でこの世を去った元プロ野球選手・監督の野村克也さん。その野村さんが12日放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で自身の兄について言及した。 先月20日に収録され来月以降に放送される予定が、急逝を受け12日に緊急放送された野村さんの出演回。自身の息子である野村克則氏(楽天一軍作戦コーチ)と共に番組に出演した野村さんは、2017年12月8日に虚血性心不全で亡くなった沙知代夫人との思い出について主に語っていたが、番組終盤に3歳年上の兄についてのトークも展開した。 京都・京丹後市に生まれた野村さんは、3歳の頃に自身の父親が戦死。そのため、幼少期の家庭は「半端じゃない貧困家庭」だったといい、野球の道具も満足に買いそろえられなかったという。 こうした家庭環境もあり、母親からは「野球ばっかりして遊んでないで、家のことをしてくれないと困る」と野球を反対されていたという野村さん。しかし、そんな中でも「朝に兄貴と一緒に畑仕事に出ると、『(学校で)野球の練習してるんだろ?』って(言われた)。『やってるよ』って言うと『行ってこい行ってこい、(畑仕事は)俺がやっといてやるから』って(言ってくれた)」と、兄は自身を手助けしてくれたという。 また、野村さんは「本人は大学に行きたかったけど、僕のために犠牲になって就職したから行けなかった。本当は(僕は)高校には行けなかった(はずな)んですけど、兄貴が『男の子だから高校ぐらい行っておかないと将来苦労する』って言って高校に行かせてくれたんです。(その後)私が高校出てから(兄は)大学に行きました」と、兄が大学進学という目標を一旦諦めてまで自身のサポートに徹してくれたことも明かした。 今回の放送を受け、視聴者からは「お兄さんがいなければ、野村克也というプロ野球選手は誕生してなかったかもしれないのか」、「弟のために自分を犠牲にするのはすごい、自分が兄の立場なら絶対無理」、「こういった苦労を乗り越えてきたから、ノムさんは球界で成功を収めることができたんだろうな」といった反応が多数寄せられている。 現役時代は南海(1954-1977/1970-1977は選手兼任監督)、ロッテ(1978)、西武(1979-1980)の3球団で捕手としてプレーし、引退後はヤクルト(1990-1998)、阪神(1999-2001)、楽天(2006-2009)で監督を歴任した野村さん。選手・監督として球界に大きな足跡を残したが、それも兄の存在があってこそだったのかもしれない。 なお、野村さんの訃報を伝える報道の中では、「母親を支えるために2人で頑張ってきた。弟が成功してくれたおかげで楽になったので、いい弟だったと思う。『安らかに眠ってください』と言いたい」という兄のコメントも伝えられている。文 / 柴田雅人
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スポーツ 2020年02月12日 17時00分
野村克也さん、マー君だけ育成方法を変えていた? 配球分析の礎を築いた名将、選手ごとに使い分けた育成理論とは
名将・野村克也氏(享年84)の突然の訃報に触れ、楽天イーグルスが深い悲しみに包まれていた。 「(2月)11日深夜、ご子息であり、一軍作戦コーチである野村克則氏のところに電話が入ったんです。克則コーチの緊急帰京もあり、楽天の関係者は朝からざわついていました」(取材記者) 三木肇監督、石井一久GMなど「監督・野村」の薫陶を受けたスタッフも多い。故人が最後に指揮官を務めたチームであることも大きいだろう。「野村監督がタネを蒔いて、次の監督が花を咲かせた」――。多くのメディアがそんな風に故人の功績を讃えていた。 「野村さんが監督に就任されたのは、楽天イーグルスが出来て2年目の2006年でした。ベテランの山崎武司さんが野村監督の指導で復活し、4番に定着したことで、楽天ナインが『野村シンパ』に変わっていきました」(関係者) その故人が蒔いたとされるタネとは、一体どんなものなのか。故人がヤクルト指揮官の時代から、他球団で干された選手を復活させることで、「野村再生工場」なんて呼ばれ方もしていた。しかし、チームを強くすることだけが名将と呼ばれた理由ではなかった。 「配球データですよ。対戦投手の投じたボールを全て書き記し、それを誰が見ても分かる記述で表し、作戦会議に使っていました」(前出・同) ストライクゾーンを9分割し、どのコースにどんな球種を投げ込んだのかを書き記していく。「○」「△」「▼」「×」などの記号を使い、変化球の種類を9分割の表に書き記していく。変化球の種類を記す記号を統一し、それがストライクなのか、ボールなのかも分かるような書き方を編み出したそうだ。 また、その9分割された表は対戦バッターを封じるためのバッテリーミーティングにも使われた。9分割されたコースごとの打率がさらに書き込まれ、ヒットにされた時の球種が何だったのかまで書かれていたという。 今日では当たり前のように、全球団に浸透しているチャート表ではあるが、その礎を作ったのが野村氏だった。 生前を知るプロ野球解説者がこう続ける。 「現役時代から馬が合っていたのは、森祇晶さんです(元西武、横浜監督)。同じキャッチャーとして配球の話をしていました。お互いの家を往き来し、野球の話が終わらず、気がついたら朝になっていた、と」 前出の関係者によれば、野村氏が“らしくない”育成法を見せた選手が一人だけいたそうだ。田中将大投手である。 野村氏は「褒める、叱る、けなす」を段階的に使い分けてきた。しかし、田中に対しては「けなす」は少なかったそうだ。高卒ルーキーながら、一年目から使わなければならなかった当時のチーム事情もあったと思うが、田中に対してだけは「褒める」がメインだった。 「ルーキー時代の田中は、野村さんに褒められたストレートが試合で通用しませんでした。『このままではプロで生きていけない』と田中自身が悟り、投球論を自分から学びにいきました。練習で『今のままでは通用しない』と伝えるよりも、実戦で痛い目に遭って、そこから這い上がってこいという教育でした」(前出・関係者) 野村氏は今日の田中の活躍を予想していたのかもしれない。年長のプロ野球解説者の中にはメジャーリーグがキライなタイプも多い。野村氏も自分からメジャーリーグの話はしなかったが、「マー君(田中)は勝ったか?」と常に気に掛けていたそうだ。(スポーツライター・飯山満)
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スポーツ 2020年02月12日 15時37分
野村克也さんから「笑顔で見送ってくれ」 新庄氏、古田氏、マー君ら監督時代の教え子から追悼の声
虚血性心不全により、11日にこの世を去った元プロ野球選手・監督の野村克也さん。突然の訃報に球界関係者、そしてプロ野球ファンの間に悲しみが広がっている。 現役時代に南海(1954-1977/1970-1977は選手兼任監督)、ロッテ(1978)、西武(1979-1980)の3球団で捕手としてプレーし、その後はヤクルト(1990-1998)、阪神(1999-2001)、楽天(2006-2009)で監督を歴任した野村さん。今回の訃報を受けて、監督時代の教え子からも追悼の言葉が寄せられている。 1990年から1998年の9シーズンにわたり同じ捕手として野村さんの薫陶を受けた古田敦也氏は11日、テレビ局の仕事で訪れていたヤクルト2軍キャンプ地(宮崎・西都)で取材に対応。「時に厳しく、時に優しく指導していただいたので今の自分がある。あれがなければ自分もプロ野球で活躍できていないし、今の僕があるのも野村監督のおかげ」と、感謝の言葉を述べたことが各メディアによって伝えられている。 野村さんとは1993年から1998年にかけて選手、監督の間柄だった真中満氏は、12日に出演した『とくダネ!』(フジテレビ系)の中で「僕らは沙知代さんに怖いイメージしかないんですよ。だけど、野村さんに対して強いのは沙知代さんだけだったので、僕らは『すごいお母さんだなあ…』と思って見てました。本当にいい夫婦でしたよね」と、2017年12月8日に虚血性心不全で亡くなった沙知代夫人を引き合いに出しつつ野村さんを偲んだ。 1999年から2000年にかけて野村さんの下でプレーした元阪神・新庄剛志氏は、11日に自身のインスタグラムに「野村克也という人間に野球人生の終了は1%も無い 俺がそっちに行ったら叩き起こすんでそれまでゆっくり寝ててください(>_<) 本当に笑顔で有り難うございました(^^)また会う日まで野村克也監督。」と追悼文を投稿。 また、同日には自身のユーチューブチャンネル上で生配信も敢行。「野村さんに『俺が死ぬときは笑顔で見送ってくれよ』って言われたから悲しまずに、今日は野村さんとの思い出を語っていきたい」とし、約45分にわたり野村さんとのエピソードについて語っている。 2007年から2009年の3年間、野村さんから指導を受けた元楽天・田中将大(現ヤンキース)は、11日に自身のツイッターに「突然の訃報に言葉が出ません。野村監督には、ピッチングとは何か、そして野球とは何かを一から教えていただきました。プロ入り一年目で野村監督と出会い、ご指導いただいたことは、僕の野球人生における最大の幸運のひとつです。 どんなに感謝してもしきれません。心よりご冥福をお祈りいたします」と投稿。プロ1年目から先発ローテーションに抜擢するなど目をかけてくれた恩師との別れを惜しんだ。 ヤクルト、阪神、楽天の3球団を合わせ、実に16年間も監督を務めた野村さん。監督時代に指導を受けた教え子たちはみな、偉大な恩師を失った悲しみに打ちひしがれているようだ。文 / 柴田雅人記事内の引用について新庄剛志氏の公式インスタグラムよりhttps://www.instagram.com/shinjo.freedom/新庄剛志氏の公式ユーチューブチャンネルよりhttps://www.youtube.com/channel/UCjt6NPFj7irkSHbntZyxMKw田中将大の公式ツイッターよりhttps://twitter.com/t_masahiro18
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スポーツ 2020年02月12日 10時50分
楽天・立花社長「しっかり継承していく」“功労者”野村克也元監督を悼む
株式会社楽天野球団は、野村克也元監督が11日、午前3時30分に永眠されたと発表した。享年84歳。死因は虚血性心不全。 球団1年目となった2005年シーズンに、歴史的な大敗を喫して最下位に終わった楽天は、田尾安志初代監督から、南海、ヤクルト、阪神で監督を務めた“名将”野村克也さんに白羽の矢を立てた。当時、社会人シダックスの監督を務めていた野村さんだったが、シダックスの後押しもあり、このオファーを受諾。2代目の監督に就任した。 楽天監督時代は“ボヤきのノムさん”として、楽天ファンやプロ野球ファンに限らず多くの国民に愛され、現ニューヨーク・ヤンキースの田中将大を「マー君、神の子、不思議な子」と語るなど、毎試合必ずボヤく中で名言も次々と飛び出すだけではなく、楽天を全国紙に掲載されるチームへと飛躍させた。チームは2007年に最下位を脱出すると、野村さんは2009年にさらに契約を延長する。 2009年シーズンには、球団初のクライマックスシリーズ進出を1stステージ開催権がある2位で決めたが、シーズン終了後にこのシーズンをもって契約を終了することが明らかになる。ファンの間からは球団への非難が高まる中、「仙台のファンに日本シリーズを見せてあげたい」とCSに臨んだが、1stステージでソフトバンクを破ったものの、ファイナルステージで日本ハムに敗退。試合後、野村チルドレンが多く在籍していた日本ハムの選手も一緒になって、楽天の選手たちに胴上げされた。 2010年から2012年まで楽天の名誉監督を務めたが、「3年契約の名誉監督なんてあるのか」とボヤいていたのが懐かしい。 楽天の立花陽三代表取締役社長は「野村さんの突然の訃報に接し、残念で仕方がありません。野村さんには2006年より4年間、チームの監督として、球団史上初のクライマックスシリーズ出場だけではなく、楽天イーグルスの土台を築いていただきました。楽天イーグルスには野村さんにご指導いただいた指導者がたくさんおります。野村ノートをはじめとして、野村監督が教えてくださったこともしっかり継承して参ります。監督・選手・スタッフ・職員一同、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメント。 楽天では、野村元監督の献花台を12日から15日まで、楽天生命パーク宮城 GATE1に設けることを決定した。楽天時代はボヤきだけを集めたDVDやCDも発売されており、話題作りを欠かさない名将だった。合掌。(どら増田)
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スポーツ 2020年02月12日 10時35分
名将逝く! 「野村ジャパン」が実現しなかった本当の理由
ヤクルト、阪神、東北楽天などで監督を務めた野村克也氏が亡くなった。享年84歳。現役時代の輝かしい功績はもちろんだが、「名将」と呼ぶのに相応しい指揮官でもあった。 「キャッチャーの地位を高めた人ですよ。昨季、広島の會澤捕手がフリーエージョント権を行使するかどうかで迷っていた時、球団は迷わず、『3年総額6億円プラス出来高』(推定)という、破格の好条件を提示しました。キャッチャーがいかに重要であるか、野村氏は好捕手を育てながら、そのことを証明していきました。野村氏がいなければ、捕手の年俸がこんなに上がらなかったでしょう」(プロ野球解説者) 相手チームの主力選手のクセ、傾向、対戦投手の特徴などをデータ化したID野球でも知られている。 兼任監督時代を含め、3204試合の指揮を執ってきた。本当に野球を好きなのだろう。解説者に転じてからも、必ず出る言葉が「監督をまたやりたい」だった。 NPBスタッフがこんな話をしていた。2004年3月、アテネ五輪・野球競技での金メダル獲得を目指す長嶋茂雄代表監督が脳梗塞で倒れ時だった。その後、代表チームの代理指揮は中畑清コーチに委ねられたが、その最終決定前、NPBスタッフは野村克也氏に“代理監督”を打診したそうだ。 「当時の野村氏は社会人野球・シダックスの監督でした。長嶋氏と野村氏はセ・リーグで優勝を争ったライバルみたいな関係でもあり、半ば、ダメモトであたったんですが…」(関係者) 内々で野村氏のもとを訪れたNPB関係者は「即答で断られると思った」という。しかし、実際は違った。野村氏は「長嶋氏がどんなチームを作り、五輪本番に臨もうとしていたのか、詳しく聞かせてほしい」と返したそうだ。“野村ジャパン”が実現しなかったが、その理由は悲観的なものではない。氏の野球に対する熱意は十分に伝わり、「チーム作りの途中段階からお願いするのは失礼。お願いする時はきちんとしなければ」というものだった。 また、あるプロ野球解説者によれば、野村氏は「一回くらい、強いチームの監督がしてみたい」とも話していたそうだ。ヤクルト、阪神、楽天、確かに「監督・野村」の行く球団は強くなかった。チーム再建、優勝するための土台作りといったものだった。「強いチームの監督」に憧れるのも分かるが、野村氏は自分でそう言っておきながら、「でも、弱いチームが強いチームに勝つから…」と言い直していたそうだ。 野村時代を知るヤクルトOBに、当時のミーティングノートを見せていただいたことがある。キャンプ中、長時間のミーティングが野村氏のもとで行われていたのは有名だが、その在任期間である1990年から98年までの間、キャンプ初日の2月1日のページは、必ず、「人として」で始まっていた。野球の話が3割、7割が「人間として、どうあるべきか」だった。 「監督というよりも、学校の先生みたいだった」(ヤクルトOB) 選手を褒め、叱り、そしてボヤく。野村氏は野球を介して「人」を育てようとしていたのかもしれない。ご冥福をお祈り申し上げる。合掌。(スポーツライター・飯山満)
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